場所の話

2020年12月11日 06:17 下道 基行 */?>


2018年、広島市現代美術館で、「新しい骨董」として展覧会を作った。
地下の展示室、そしてミュージアムショップを会場として。(いや、youtuberにもなってみようとしたし、様々な外にも繰り出したので、空間は展示室&ショップ&ネット、いや陽光くんのいう場所ップということか?)
ミュージアムショップでは、美術館のガラスケースを持ち込み、陽光くんと海で拾った漂着物/ゴミを並べて、100円ショップを作っていた。展示終了後もその「新しい骨董のゴミの百均」はミュージアムショップに残されて、運営されている。感覚としては、2018年から終わらない展示をやっている感じ。これは結構小さな奇跡なのではないかと思っている。

なぜなら、海からのゴミは、(僕が一緒に拾うこともあるが)福岡の陽光くんがせっせと車で海へ出かけて拾って、ダンボールいっぱいに詰めて送料かけて広島へ送ってくれていて、それを学芸員さんやスタッフさんが綺麗に陳列し、さらに販売してくれている。送料や労力から考えると全員で大赤字を叩き出していて、これは遊び心に支えられる贅沢であり、大人たちの全力の遊び場である。
瀬戸内の島は、福岡の浜辺ほど海洋ゴミは流れてこないが。ただ、ご近所さんで船を持っている方と知り合うことができたことだし、船から見える無人島の浜辺には大量の海洋ゴミが山積みなので今度、収穫しに行きたい。

美術館の「新しい骨董のゴミの百均」の人気商品としては、陽光くんの拾っている漂着物「100円ライター」。
漂着物の100円ライターは、異国から流れてくるので様々なお店の名前や情報も残されているし、初代漂着物学会会長の石井忠さんも愛した存在である。しかも、世の中、急激な反タバコの社会の中で、「100円ライター」はかつてのマッチ箱のように哀愁を帯び始めている気がする。さらに異国の読めない情報(店の名前や電話番号)をくっつけて、ボロボロに骨董感を帯びた「100円ライター」に、未来の眼差しを先取りして感じる骨董感を感じずにはいられない。(それにしても、大学生の時に、ライターを手にして火を付ける行為を非常に恐る後輩がいて、みんなでいじっていたが、こういう若者は増えているのだろうね。)

では。さあ、日記は土に埋めて。仕事だ仕事だ。今日も島は美しいなぁ。