『モニュメントが生まれるとき』
2013年1月
広島県広島市
原爆ドームの大通りを挟んで向かい側の、柵で囲まれた大きな円形の工事現場が音を立てている。この場所は数年前まで広島市民球場が建っていた。柵の外側を一周してみると、思ったよりも小さい球場のサイズが伝わってくる。柵の向こうにライトスタンドの一部がぽつんと残されているのが見えた。このスタンド跡を町はモニュメントとして残してその周囲を公園にしようと計画したが、様々な市民の声があがり計画は中止となったままだという。それにしてもこの町はモニュメントだらけだなぁと思った。曇り空から光が射した瞬間、シャッターを切ってみると、どっち付かずの曖昧な風景がそのまんま写った。
広島を後にして東京に向かう新幹線。隣の席でおしゃべりをしていたおばさん二人は、高速で通り過ぎる車窓の向こうに富士山を見つけ、目を輝かし、カメラを縦や横にして写真を撮りはじめた。数分後、写真に満足したのか、急にまた元の話に戻った。富士山はまだ同じ様に見えている。
速いスピードで変わって行く風景を前にして、消えてゆくコトやモノを「残したい/伝えたい」と、人はモニュメントを作る。写真を撮ることもそうなのかもしれない。でも、過去をモニュメントとして捕まえた瞬間から、逆に忘却が加速する気がするのはなぜだろうか。生暖かかく漂っていた過去が、急に標本のように冷たくなってしまうように。美しさや驚きや悲しさや忘れたくないこと…そんな曖昧だけど大切な感情や瞬間を誰かと共有し残したい時、僕らは何ができるのだろうか。
母の友 2013年 05月号掲載