旅をする本
と、ここまでは自分が頑張ったとかという思い出話ではなく前置きで、話はここから。
なんと言うか、一冊づつ、作り方や売り方や存在のさせ方、さらにはコラボレーションの時間や経験を考えながら、本づくりを行って来れた事は、展覧会を作るのと同時並行して、素晴らしい制作の経験。毎回感動するし、成長させてもらう。
写真を撮り作品を作る僕には、本はいまだに大切な表現の一つだ。ただ、時代は常に変わっているし、こう言う時代に生まれてしまった。大学生の頃、初めての一人暮らしで、吉祥寺のビレバンに行って雑貨や本に囲まれた生活に憧れたり、本を買ってきて本棚に並べ、CDを並べたりして行くことが自分の知識や豊かさが増えていくような感覚だったが、その感覚はインターネットやスマホによって一気に壊れていった気がする。2009年、本棚の本を図書カードを付けて、旅に出してみた。そう、今も本棚にはお気に入りの本があるけど、読み終えてから一度も開いていないし、だから、たまに友人が泊まりにきたら欲しい本はあげることも多いし、もう、自分自身が写真集をこの何年も買っていないことに気がついて、自分もそれを作ること自体に疑問を持っている。
今回の「14歳と世界と境」は、美術館の展示として、ワークショップを行い、地元新聞で連載記事を作り、本を作った。さらに展覧会終了後に、本の朗読会を開き、本を無償で配った。「読んだら次の人に渡して欲しい」と言うルール付きで。香港の人々からは「そんなルールはすぐに破られて、本の旅はすぐに終わるだろう」と指摘が多いが。そう。ルールのあるのは良くないし、すぐに無視されて、売られたり、所有されたり、忘れられるし、そう言うのを僕はコントロールできないししたいとは思わない。ただ、中学生の文章は僕は本当に素晴らしいと思うし、この彼らの文集を売って商売にする気もないし、上に長々と書いたように、いっぱい印刷していっぱい売る気持ちもないし。読みたい人の手に渡り、読みたそうな人の手に渡って欲しい。図書館と言う空間のない図書館の蔵書みたいに。
思い出してみる。1冊目の写真集は3000冊、10年で売れた。3000冊を手にした3000人。きっと誰かの家の本棚に置かれていて何年も開かれないのだろうか。
今回の14歳の本は、300冊のみ。多分、期待として、最低1冊の本は3人くらいにはまず手渡されるかもしれない、そうすると900人。これは写真集「torii」や「Dusk/Dawn」と同じ冊数になる。さらに、10人の手を解すると3000人。そう、最初の本「戦争のかたち」くらいの人々が色々な場所で無料でこの本を読むことになる。そのくらい行けないかなぁ。ま、これは僕の勝手な希望であり、実験。でも、本当に内容は良いと思う。とりあえず、50冊が香港に旅立ちました。
「無料」と言うのは、人をいい加減にさせたり、逆に、無理強いさせたり、するだろう。けど、この本の文章に感動したり、心が動いたら、次へ先へ本は進むかもしれない。
そして、このインターネットの時代に、4カ国語の本を作る。google翻訳、あるよね?って言われるけど。それは意味の理解を助けるけど、中学生の書いた、たどたどしいけどみずみずしい文章を訳せるだろうか。いや。たくさんの翻訳の方に関わってもらって、贅沢な体験だった。なんでもインターネットでグローバル、ではない。今、逆のことが起こっているし。この本はインターネット的だけど、古い時代からやってきた。だから、インターネット以上に境界線を越えるかもしれない。
知り合いの方に、「宣教師みたいですね」と言われました。すると、この本は経典か何か。。。うーん。確かに、無料にするとそうも言えるかも。妻に話すと「中二教」とか馬鹿にされた。。笑 ま、いいのではないか、「中二教」の経典で。普通の中二に教えられる世界のあり方。でも、これは、何かありがたいことを教える完成された存在ではなく、揺れ動く中二の境界線の話。正しい事は書かれていない。
どっちが先にレーダー打ったとかやりあって、顔も見えない距離で傷つけ合ってる隙間を縫って、顔が見える人から人へすり抜けて、ね。
すみません。ついつい、最近、前へ前へ制作をしすぎてて、思考が追いつかず、頭がパンパンになていたので、文章化してクールダウンさせています。
ふーーー、、、もう昼か。
では。