大学の先生を少々
先輩から聞いて心に残っている話がある。そこから、日記を書き始める。
それは、アーチストには、ざっくり2種類のタイプがいるのでは?という話。
①「誰からも頼まれていないのに作るタイプ」
②「場所や企画やネタが与えられてこそ作るタイプ」
という。
そう考えると、
①は、それをやらないと生きていけない、先へ進めない。という製作と生きることが一体化している。
②は、それをやらないと生きていけないわけではないが、ある意味でドライに自分のことを見ていて、仕事としてプライドを持ちながら製作している。
かもしれない。
さらに、
①が作る作品は、言葉にできないのパワーを秘めていることがある。つまり(しかし)、ロジカルではないことが多い。
②が作る作品は、ロジカルに製作が進められることが多い。全てが言葉で語れてしまう作品も多々ある。それが良いか悪いかは置いておく。
で、おそらく。普通に美大に行って、アーチストになる人の多くは、②ではないか。下手すると、①はアウトサイダーアートとの違いが難しい場合もあるし、美大の美術学科とかではなくても生まれてくる。
①は、製作するモチベーションが終わると活動も終わる可能性がある。
②は、自分のスタイルが確立できていれば、外からネタさえ提供されれば、ボケられる。つまり、飽きられない限り、活動は仕事として続けられる。
限りなく100%に近い①の作家を何人か知っているが。色々なアーチストが①と②とが綺麗に分かれているわけではなく、①的傾向の強い作家であっても②は持っているだろうし、その逆もある。
では、美術大学の先生はアーチストが多いが、大学で教えてもらうなら、どちらが良いだろうか?
やはり②?
実は、明らかに①寄りの僕は避けていたのだが、
今月の1ヶ月だけ、「映像実習」という授業を教えることになり、家から車で20分にある芸術大学に通っていた。この授業を受け持つある方がどうしても滞在制作で1ヶ月大学に通えないので代わりにできないか?という流れで。
(続く)