連載【誰も関心がないかも知れないけれど戦前から現在までの瀬戸内海の旅行ガイド本をヤフオクやメルカリで落札しまくる男の話】
山下陽光氏の《途中でやめる》のメルマガで連載をしていたので、コピペしておきます。
メルマガの読者を意識しているので、こういう文章になっています。がお時間あれば。
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連載
【誰も関心がないかも知れないけれど戦前から現在までの瀬戸内海の旅行ガイド本をヤフオクやメルカリで落札しまくる男の話】①
本連載を書くにあたり、山下陽光氏が付けてくれたタイトルが、それを読むとすでに活動のネタがバレてしまっているので……、少し過去から遡って、無理に遠回りしながら、この件を連載として書きたいと思う。さらに、この陽光氏のメルマガを僕は読んだことが無いけど、日記のような結構ラフな文章だと思うので、僕も、だらだらと書きながら、校正もせずに、のせていきます。その方が、このメルマガのグルーブ感にもあうと思うので。
では、始めます。
幼い頃、僕は、瀬戸内海の見える小さな自然豊かな集落で育った。小高い山に登ると日々変化する海と島々がキラキラと見えた。通っていた小学校は1クラスのみで信号も1箇所のみのド田舎。小学校の帰り道、小さな駄菓子屋があったが、子供は”買い食い”を禁止されていた。少年の僕はそのルールがどうしても嫌だったみたいで、「学校帰りの山や路地で無料で食べられる物を記した【地図】を作って学校で配布する」という抵抗に出たそうだ。(ある意味”0円”マップ。)そこには様々な山の木の実などが多く記されていたという。ただ、この昔話の結末というのは、クラスの友人たちがその地図で喜びました、おしまい……というものではなくて、実は…その地図内には○○さんちのスイカや農家の畑の野菜も記されていたため、先生が発見するや否や、ウチの親とで謝りに回ったという結末……。この僕の記憶には無い地図の話は、最近になって母親からこの話を聞いた。
で、その昔の自分の話を聞いて、脳の接続で思い出したことがあって、それを次に書くと…。
台湾で農業をやっている地元の友人のアーティストがいて、彼は、ちょっと前に、”ある古い本”を手にしてそれを読み込んで「都市で手に入る植物とその料理」を農業雑誌に連載していた。その古い本というのは、日本が台湾を植民地にするにあたって書かれた本で、台湾全土の植物を調査し、名前や種類や”どのように食べられるか”まで記した物。その中には「味=★☆☆☆☆、苦いが食えなくない」みたいな項目まであって面白そうに彼が見せてくれた。(2009年頃の記憶でうる覚えだが…。)これは当時の日本が台湾を戦時の食糧庫としての価値を考えていて、稲作を持ち込んだりした頃に書かれたものだろうと思うが。その100年くらい前の調査を記した古い本を手に、今の町の風景を見比べながら、今では”観賞用”になった街路樹や様々な”見向きもされない”植物を「食べ物」として再考するプロジェクト(ったと記憶している)があったなぁ、と思い出した。
まぁ、そうそう、僕は、今まさに。”戦前から現在までの瀬戸内海の旅行ガイド本をヤフオクで落札しまく”っているんだけど、今から書こうとしているこの話は、【自分で地図を描く】体験であるだろう。そして、それはただただ自分が思いついた【新しい地図を描く】ということではなくて、【見向きもされない古い地図を発見することによって始まる】のかもしれない。ということ……。
そこから三十年が経った数年前。
突然メールで、「ある瀬戸内の島に研究所を作って欲しい」という依頼を受けて、僕のプロジェクトは動き出す、……のだけど、それは次回!!!
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【誰も関心がないかも知れないけれど戦前から現在までの瀬戸内海の旅行ガイド本をヤフオクやメルカリで落札しまくる男の話】②
今、瀬戸内海。フェリーの中で、この文章を書いている。
なぜなら、島への移住を決めて、4月から住む家を見に来たから。
新しいプロジェクトをよりディープに動かすために。子育ての環境とかも考えて。
妻と娘と猫と一緒に、島で暮らすことを選んだ。
そういえば、全然話が変わるが、
二年くらい前に、アーティストたちと人類学者たちの対談があり、参加をしていた。(その背景には、人類学者が旅をフィールドノートで記述し論文にまとめる従来の流れから、映像で記述しアウトプットすることが増え、表現やアートというジャンルとの接点が日増しに増えていること、逆にアーティストがある地域に入り込み調査をしながら作品を作る傾向を強め人類学への興味関心が増えている傾向が挙げられるだろう)、その中で、人類学者がプレゼンで映像を空間で見せることを”インスタレーション”という言葉を多用して話していたことに違和感を持った会場のアーティストがそれを指摘した際に、逆に「では言わさせもらいますけど、最近のアーティストたちは”リサーチ”という言葉を簡単に多用しすぎなのが学者としては気になるし、あなたたちがやっているのは”サーチ”ですから!」と反撃を受けたことを記憶している。(まぁ、それぞれの言葉の意味が様々なジャンルを横断して使われ、誤訳されて行くのは逆に面白いことだが、アーティストも心して”リサーチ”という言葉を使わないとと、気を引き締める機会であったが。)そう、リサーチという学術的な「調査」という言葉がアート界では和製英語のような存在で広まっている。そこには”地方での芸術祭”の影響、アーティストの作品の作り方が大きく関係しているのではないかと思う。
現在日本では、行政主導で芸術祭などが花盛りで。オリンピックに向けてお金もどんどん降りている。「現代美術で村おこし」という奇妙な現象がこの20年ほど現在進行形で進んでいる。
現代のアーティストたちは、アトリエで作品を作るのではなく、【依頼された土地を”リサーチ”して】【数ヶ月の滞在で】【地元の記憶などをテーマに】【フィクションなどを手法を交え】【作品を制作する】ことが多くなっている。(もちろん、それも一部だが。)
で、僕自身はというと、過去に芸術祭に参加もしてきたが、最近は特に制作しながら意識しているのは……、【自分で場所を決めて”サーチ”して】【数年の滞在、いや一生付き合うつもりで】【地元の記憶には簡単には手を出さず】【すぐにフィクションなどに逃げず】【作品を制作しない】こと。そういう創作活動をしてみたいと考えている。そう、天邪鬼なのだ。
そんなある日、ある関係者から突然メールで(メールは突然なものだが)、「ある瀬戸内の島にラボ/研究所を作って欲しい」という依頼を受ける。
さらにその内容は《瀬戸内の風景》に関するラボラトリーのような存在を、《長期》でプロジェクトとして企画運営して欲しく、まずは3年を提案された。その時僕は、幼い頃に瀬戸内で過ごした風景を思い出した。そして、生まれたばかりの娘をどういう環境で育てるか悩んでいるタイミングだったので、移住するのも面白いのではないか、と妄想が進んだ。さらに、この企画は行政主導の”芸術祭”からの依頼ではなく、一つの企業からの依頼であることも面白いと思った。
そして何よりこれは。【自分で場所を決めて”サーチ”して】【数年の滞在、いや一生付き合うつもりで】【地元の記憶には簡単には手を出さず】【すぐにフィクションなどに逃げず】【作品を制作しない】。ことを実現するチャンスだと感じた。
つまり、
【自分で場所を決めて”サーチ”して】=瀬戸内は広い。島を自分で決めてアプローチもできるかも。
【数年の滞在、いや一生付き合うつもりで】=最低3年は決まってる。し、移住もいいかも。
【地元の記憶には簡単には手を出さず】+【すぐにフィクションなどに逃げず】+【作品を制作しない】=地元の人や旅人が使える図書館のような場所をゼロから作れないかな。
空間内にはまず何もない本棚を用意する。1年に1回か2回、あるカテゴリーを決めて、瀬戸内を調査しながら本や物を蒐集し、展示しアーカイブされ、本棚になっていく。トークイベントや勉強会やメンバーを集めて。最終的には、地元の人や旅人たちが立ち寄る図書館になって行く。でも、物も集めるかもしれないから、図書館ではなく、資料館かもしれない。編集者のように”図書館”を作る。
そう、この話は、瀬戸内のある島に、ゼロから図書館を作るプロジェクト。そして、島へ家族と移住するプロジェクトでもある。
そして……。
次回へ続く!
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【誰も関心がないかも知れないけれど戦前から現在までの瀬戸内海の旅行ガイド本をヤフオクやメルカリで落札しまくる男の話】③
こんにちは。
瀬戸内海の旅行ガイド本をヤフオクやメルカリで落札しまくる男(と陽光くんに名付けられた)。下道基行(シタミチモトユキ)です。
陽光くんとは「新しい骨董」というグループを組んでいて。肩書きは美術家/写真家と言われることが多く、今回、直島では”資料館館長”という肩書きも加わりました。みなさま、自己紹介が遅くなりましたが、どうぞよろしくお願いします。
瀬戸内海の島にゼロから図書資料館を作る長期プロジェクトを始動するにあたり、家族で島へ移住を決め、アーティストから資料館職員に転職するくらいの勢いで、愛知県で引っ越し作業中。
さて。
これまで書いてきたプロジェクトの名前は《瀬戸内「 」資料館》と名付けました。「」には毎回テーマを変えて入れていきます。第一回は《瀬戸内「緑川洋一」資料館》。その第二弾を、《瀬戸内「旅の本」資料館》にしようと考え準備を始めていて、だから、ガイドブックを買いまくっている。ということ。
この《瀬戸内「旅の本」資料館》の構想としては、「戦前から現在までの瀬戸内海の旅行ガイド本をヤフオクやメルカリで落札しまく」って、1920年くらいから2020年まで100年間の瀬戸内のガイドブックが空間に100冊くらいが時系列にバーーーと並んでいるイメージを持って進めている。テーマの一つは《瀬戸内の「観光」を再考する》。資料館の立地は香川県の直島の港の側で、旅人にも地元の人にも愛される資料館にしたい。(新刊で販売されている書籍は著者や出版社へのリスペクトも込めて、新品で購入するようにしている、ことを書き加えさせてください。。)
例えば、僕の勝手なイメージ。
何気なく直島へ来た旅行者が、ふらりとこの資料館に立ち寄る…、するとガイドブックが並んでいて「やったー!このガイドブック、旅行前に買おうと思っていたんだぁー」とか言ってパラパラめくっていると、その横に数年前のガイドブックが……、さらに横には……とずらりと過去のガイドブックも並んでいて、手に取り開いていく……。行くつもりだったカボチャのオブジェやカフェ飯屋もタピオカ屋もない世界へ……。徐々にタイムスリップしていく……。そんな仮説的な図書館。
今、ヤフオクやメルカリで買いまくっている「るるぶ」等は、今も本屋で毎年更新されながら大量に売られているガイドブック。数年前の「るるぶ」やガイドブックって、お店も変わるし、情報も古くなるので、すぐに使えなくなってしまうことが多い。だから、人々はどんどん捨てるし残らない。公共の図書館にもあまり残されていないし、価値が少ないからbookoffとかでもなかなか手に入らない。もしヤフオクで見つけても、価格も100円程度で、誰とも競り合わない。ある意味、今、ここは独壇場。
この捨てられているガイドブック=情報を、蒐集し、並べてみることで、過去から新しい発掘、いや未来を想像してみよう、というだ。
民俗学者の宮本常一たちは1960年代高度経済成長期に、生活スタイルが変化し、古い道具を人々が捨てていく中で、それに危機感を持ち、道具の蒐集を行った。なんか、そういう感じで、捨てられる情報を蒐集して、そこから何かを見つけることをやってみたいなぁと。
この100年のガイドブックが並ぶと、どのような発見が起こるのだろうか?
例えば、直島だけに、フォーカスを当ててガイドブックを読み進めると。
1990年代の「るるぶ 山陽瀬戸内」や「るるぶ 香川」で、直島を探すと、”その他の島々”というあたりのコーナーに、白黒ページで少しだけ載っている。まずは海水浴場やキャンプ場のみ。そして徐々に美術館も記載され始める。ページも1ぺーじの半分くらい。それが急に、2000年代から徐々に”アート”という言葉が目立ち始め、カラーページになる。さらに2010年には瀬戸内国際芸術祭が始まり、カラーで数ページの特集が組まれるようになる。さらに、最近はこのインターネット時代に様々な出版社から”アートで島旅”的なガイドブックが続々出版されている。
そんなこの島で起こっている20−30年の急激な「観光」の変化が見えてくるだろう。
島で図書館のようなものを始めようと思った時に、まずは、島の2件の小さな図書館を調査することから始めた。なかなかこじんまりとして素敵なのだが、まず誰にも使われていない状況が目に付く。そして、本棚にどのような本が並んでいるかを見てみる。その時代ごとの流行りの小説やある意味”島民の娯楽”のために本を購入していた傾向がみえる。色あせたトレンディードラマが並んでいるような本棚は循環を止めている。そしてインターネットの波が押し寄せ、誰にも使われなくなっている。
そういう意味で、みんなが使える図書館を始めようと思うと。まずは、ありとあらゆる種類の本を購入して並べていく必要があるだろう。もちろん、今流行りの本もいるし、もっと時間の尺度の長い専門書や絵本など色々な取り揃えが必要になるだろう。(もちろん、これは空間の話ではなく本棚の話。空間によって”みんなが使える”ことも考えられるのだけど。今は本のセレクトの話を書いている。)
ただ、前回書いたように、僕は天邪鬼タイプの人間で、さらにわざわざ作家として図書館をゼロから作るのなら、”みんなが使える”という”公共”方向で”浅く広く”ではなく、超片寄った蒐集を行い特化した本棚を作りたいと考えている。司書でもない男が勝手に作る”アウトサイダーライブラリー”。目指せシュヴァルの理想宮。もちろん、テーマ自体が「瀬戸内」なので、すでに特化している図書館ではあるが、さらに、極端な…。そういう意味で、毎回テーマを決めて蒐集し展示を行うのだけど、そのテーマで日本で一番蔵書が多い図書館にしたいと密かにチャレンジしている。
例えば、第一回の瀬戸内「緑川洋一」資料館では、瀬戸内の写真を生涯撮り続けたこの写真家の書籍を集め、展覧会も開催したし、本棚/アーカイブも作ったのだけど。日本で一番!の「緑川洋一」の蔵書を作りたい!と考えた。現在のチャンピオンは、(国立国会図書館以外では)東京都写真美術館の図書館であり、僕は密かにここを超えることを目指した。で、今回の「瀬戸内のガイドブック」に関しては、高松市図書館も多いが、何と言っても日本交通公社(JTB)がやっている「旅の図書館」がチャンピオン。日本一の旅行業者が運営する「旅の図書館」であり、『るるぶ』もJTBが出しているわけで、なかなかの強敵。ただ、「瀬戸内のガイドブック」に関しても、すでにうちの方が蔵書は「旅の図書館」に匹敵する。なぜなら、「瀬戸内」に特化しているから。
つまり、今の所、ホームページはないが、「緑川洋一」「瀬戸内のガイドブック」を探し求める人にとっては日本一行ってみたい場所にはなっている(はず)なのだ。
では、次回。
連載
【誰も関心がないかも知れないけれど戦前から現在までの瀬戸内海の旅行ガイド本をヤフオクやメルカリで落札しまくる男の話】④
”リサーチ”という言葉を使ったことはあるだろうか?
本来、学術的な調査の意味で使用されるべき”リサーチ”という言葉が単に”調べる”くらいの意味で誤読されて使われている話を一昨日書いた。では、”アーカイブ”という言葉はどうだろう。最近色々な場所でよく聞くようになった。アーカイブというのも、「保存する」とか「残す」とか「集める」とかその程度の意味で使われているかもしれないが。本来、アーカイブというのは、収集する者のこだわりや取捨選択を排除して、徹底的に集め保存することを言う。だから、そのアーカイブという存在は、蒐集者の意図を超えて、未来に様々な人々が様々な利用価値を見つけ使えることを含んでいる。
僕は、プロジェクトで本棚のカテゴリーは自分で取捨選択して考えるが、そのカテゴリーの中で蒐集する本に関しては個人的な取捨選択はせず、できる限り全て集めるつもり行っているのが《瀬戸内「 」資料館》の特徴だろうか。
《瀬戸内「旅の本」資料館》に関しても、同様に、旅行ガイド本を徹底的に集めている。そして、前回、それらの集められた旅行ガイド本から「直島」だけを探しながらこの30年を見ていくと感じられる事を書いたが。多分、発掘できる大枠としては「観光」ということにはなる。つまり、僕の興味としては、「直島」「アート」という検索ワードであったが、別の人は別の検索ワードでこの本棚から何かを発掘できるだろう。例えば、、、「映画」の専門家と「瀬戸内の映画と観光」を考えるとか? この旅行ガイド本を、色々な興味のある人々と読み解き、色々な発掘をしてみたいなぁと考えている。
ま、つまり、このプロジェクトの中には、「作家の意識的な編集」と「作家の意図を排除したアーカイブ」の両方を持たせながら、自分の範囲を超えた存在にしていきたいなぁ…と妄想している。
(そういう意味では、今回陽光くんがやっていた”0円ショップ”も蒐集する人の意図を排除しているからこそ、他の人が新しい価値を発見することができるのかもしれない。)
よって、”瀬戸内海の旅行ガイド本をヤフオクやメルカリで落札しまく”っているのだ。そして、すでに、「るるぶ山陽瀬戸内」「るるぶ香川」に関しては、すでに買い占めていしまい。大海に釣り糸を垂らす釣り人のようなに、新しい出品を待つ状態になっている…。
と。なんか難しい話になってきたので、
次回は、直島へ移住を決めた理由を話して、最終回としたい。
連載【誰も関心がないかも知れないけれど戦前から現在までの瀬戸内海の旅行ガイド本をヤフオクやメルカリで落札しまくる男の話】最終回 ー後日加筆ありー
昨年、このプロジェクト、《瀬戸内「 」資料館》の準備のために、直島に滞在制作していた時。ぼんやりと、家族でこの島へ移住してしまうことを想像した。本当に島へ移住するためには絶対に外せない条件を考えたら、次のような事を思った。それは、島の生活が、【自分の新しい表現活動の実験場になること】【家計を支える方法があること】【子育ての環境が良いこと】【猫も一緒に住めること】【家賃がかからないこと】【東京にも出やすいこと】など。
【自分の新しい表現活動の場になること】
瀬戸内の島々を調査してみたいし、その拠点になる。
さらに、このプロジェクトを行うために与えられた空間/物件が、ただの展示空間ではなくて、本当に僕自身の研究室(のよう)になると、もっと僕自身に館長らしさが生まれ、空間も資料館らしさが出て最高だろうなぁと思った。そのためには通える近さに住むのが良いと。(いや、逆にこの空間の近所に住めば、自宅の側にスタジオ/仕事場を持つ夢の環境を手に入れられる?実際は展示を準備し続ける公開制作として。)さらに、空間の地元に住めば、アートのための旅人だけではなく、地元の人が近づいてきて、通ってくれるような場所にするにもそれが必要なのではないか?そんなことを感じた。
【家計を支える方法があること】
家族での"共働き"の可能性も考えている。し、島でその可能性が見えて、家族で挑戦しようと踏み切れそうだ。
これまで、2001年に大学を卒業をして、東京で仕事をしながら、細々と表現活動を始め、2005年に写真集を出版、さらに、2010年くらいから幸運にも”アーティスト”としてデビューの場が与えられ、その後も展示の機会や表現の場が徐々に得られる環境にあり、(大学卒業から)20年くらい経った今。震災後くらいから、展示やプロジェクトの仕事が増えて、年間に5個くらいの企画を持っていると、徐々に大学卒業後からお世話になっていた仕事場に出られる機会が難しくなり、ギリギリながら”アーティスト”として「だけ」で生活をしていくことになり。そこで結婚し子供が生まれ。生活はギリギリながらも、東京を離れ、実家に寄生したりすることでなるべくランニングコストを抑えつつなんとか家族とサバイブしてきた。
そして、年齢としては40歳を超え、経歴に書く活動も年々増えた、(それは本当に幸運で恵まれている) が。それはつまり、、、「下道?あぁ、あの作品の作家ね」と、”ある程度認知”され、”中堅”というキャリアに押し上げられたというタイミングなのだ、今。それは、デビューできて、さらに活動を続けた20年があり、幸運なことなのだけど。”中堅”になり、国内で認知された瞬間に、(言い方が非常に難しいが、、つまり)”若手のように仕事を誘われなくなる”ようになるだろう、と感じる。そしてその予兆をこの年末になんとなく感じた。(そこには僕の作家スタイルが「コマーシャル」ベースではなく、「プロジェクト」ベースであることも関係しているかもしれないが。) キャリアや略歴は一つの”信用”を得る大切なものだが、それを持っていても、仕事がなければ、収入はゼロなのだし。(いや、企画展で展示をしても、いつも収入的には非常に厳しいが。)
で、生き方のギアを入れ替えよう、と。本気で実験。
(もちろんアーティストとしてのキャリアアップの方向性も考えられるが、まず)アーティストとして「だけ」で食べていく、とかではなく、共働きや副業やそういう可能性や、もっと根本的にいろんな生き方を、もう一度挑戦してみよう。と。(←山下陽光の影響かも)
もちろん、加えておくと。表現活動をさらに洗練して作り続けることは、大前提で考えている。それが自分の”仕事”だと思っているから。だから、発表や新しい挑戦の場所はいつでもウェルカムなのだけど。
(まだその渦中にいるので、なかなか書くのが難しい話だが、書いてみた)
【子育ての環境が良いこと】
島は地元のコミュニティがかなり強い。で、僕は幼い頃にそういう”田舎な”環境で育って、大人になって、東京や愛知など都市部で暮らしてみると、しがらみのない都市部ではなくコミュニティが小さい地域に住むと色々と面倒なことも多いけど、人と人の付き合いがやはり深いと感じることが多い。人と人との付き合いを大切にする土地で子育てをしてみたいなぁと漠然と考えていたから、そこも挑戦してみたい。なんとなく、都市部では子育ての環境っていうのもサービスとして提供されている気がするけど、田舎ではちょっと違うと思っている。持ちつ持たれつ。(←KOSUGE1-16の影響かも)
ただ、直島は「アートの聖地」なんて呼ばれていて、なんだかそれは引っかかる。それに付随しての観光業も盛んなのも引っかかる。でも、小さな地方の島なのに、外国人が島内でよく目にする環境、それは面白いかもしれないし、その客層が独特で少し変。上品?な客が多いとでも言おうか。多分その理由は、この島へ来る観光客は美術館が目当てであること。島の美術館全てを見て回るとそれだけで6000円くらいかかるので、アートや文化への理解と興味のある人々しか来ない。治安がなかなか良い。で、夜になると、このど田舎の飲み屋は外国人だらけだったりするが、逆に、秋の夜に、フラフラ集落の路地を歩いていると、秋祭りのための島内に笛や太鼓の音が聞こえてきて、急に古い日本のローカルな風景を感じる。昨年滞在制作をしながら、このどこにもない環境に、子育てが結びついた。
今後、瀬戸内国際芸術祭を中心とした「アートで観光」はすぐに過去になるのではないかと思う。ただ、この島はアートの関係の仕事だけで回っているわけではない。で、今のこの島のバランスはかなり特殊で面白い。もちろん、海や山はすぐ目の前。車はほとんど走ってなくて静か。瀬戸内の島の風景は日々の気象状況で激減するような、繊細な季節な気象を感じる風景というのは、都市部では感じにくい。島内の保育園や学校もなかなか充実している。
これらは子供が育つ環境としては、面白いのではないか?と。
ま、今から、住んでみないとわからないが。
【家賃がかからないこと】
2008年からもう10年以上、実は、家賃を払ったことがない。難しいようだが無理ではない。それは色々な人や隙間に寄生していきてきたから。例えば、8万円くらいの家賃が0円になったらそれだけで結構暮らせる、いや死なないし。逆に、浮き沈みのある職業で、常に毎月8万円とかを払っていたら、何かあった時にすぐにマイナスに転落する可能性がある。頑なではないが、できれば、家賃をほぼ払わない生活を目指したい。島では、まずは三年それに近い生活が可能になりそう。
【猫も一緒に住めること】
だって、大切な家族ですから。
【東京にも出やすい】
いやいや、島から東京までは4時間半かかるから、これは無理だ。ただ、年間3回くらいしか東京へは行かないから問題ないかも。その時にみたい展示とかも見れれば。友人たちもそこまで東京だけにいるわけでもないし、。いつも考えてしまう項目だけど、もう、要らないかなぁ…。まぁ直島は岡山や高松に15分とか30分程度で行けるし。ネットもあるから。
という感じ。で書いてきましたが。
多分、簡単にいうと、
根底には、自分たちの生活を大きな何者かに極力依存させられたくない、という感覚が強いだろう。「たくさんお金を稼げるし持ち家があって貯金しているから、何かが起きても安心」なのではなく、人との繋がりを大切にして、家賃などのランニングコストを抑えることで、逆に「何が起きても動じない」生活を確保する。さらに、「いつでもどこかへ動けるような気持ち」を持つ。これは、震災以降から変わってしまったこと。疑い続けてやる。
だから、なんか、これまで、移住、移住、書いたが、引いてみれば、ただの移動ですね。これは。なんか、移住という言葉には「田舎へ」とか「上京の反対」の感じがするので。
下道、直島に、移動しまーす。
ということで、
下道基行でした。
《瀬戸内「 」資料館》の写真もあるので見てみてください。
http://old.m-shitamichi.com/setouchi
《瀬戸内「旅の本」資料館》は今年の夏頃、オープンします。
オリンピック見たくない人、是非、ゆっくりと島へ遊びに来てくださーい。
拙文、失礼しましたー。