春に池で海水浴 続々
目に見えないウィルスによって、世界中が同時に翻弄されてる中で、
僕は家ではなく移住したばかりの直島というコミュニティに閉じ込められている。
徐々に外からの観光客がいなくなり、逆に島民たちの生活が見えてくるようになった。
時計が過去へと逆戻りして、数十年前のような小さな島での日々で、
瀬戸内の静かな光や音がキラキラと鮮やかで、それを体全身で受け止める。
家族の新しい登場人物「幼い娘」の存在は、人々との優しい距離感を生み出し、
心のスピードを徐々に減速させていってくれる。
鮮やかに感じているのは、視覚や聴覚ではなく、時間の感覚かもしれない。
時間の流れは子供の頃には戻れない、あの頃のようにゆったりは流れない、ただ、時間の粒子の輝きが子供の頃のようだ。
懐かしいとかそういう感覚は、今の風景に過去の風景を合わせて眺める行為だけど、そういうことではなく、今、この目の前の時間があの頃の感触を持っているようだ。
2011年、東北地方で震災があり、原発事故が起こり、突然、日常の見え方が崩れた。
それは「当たり前の日常があっけなく終わってしまうこと」と「自分たちの生活が見えない大きな力や慣習に依存していたこと」を目の当たりにして、それらを疑い続けて生きていくことが、この出来事を忘れないための抵抗だと今も思って生きている。
2020年、今。
2011年と似たような、日常の見え方が崩れる感覚。再び「当たり前の日常があっけなく終わってしまうこと」と「自分たちの生活が見えない大きな力や慣習に依存していたこと」を目の当たりにしている。しかも、日本だけではなく、世界中で。(例えば、2011年、関東の電気が福島から来ていたことを初めて知った人も多かったし、2020年、世界中のマスクが中国で生産されていて中国が輸出規制をできることを世界中の人々が初めて知っただろうし。)
ただただ、2011年みたいに、この出来事を心に刻んで忘れない、とか、疑い続ける、という感覚を今の状況では感じていない。
何だろう。その違いは。
2011年に、急に日常が視覚化されさらにガラガラと崩れたように感じるたのを例えるなら、日常が線路の上を走る電車や、道路の上を走る車、に乗って生活していた感覚が崩れた感覚。でも今感じる日常は、すでに、空気の中を進む飛行機や海の上を進む船の感覚に変化したよう。 つまり、引かれた線の上を走る「直線的」で内側や中心からアクセスする感覚ではなく、「空間的」で外側から世界中にアクセスできる感覚、いや内側に外側を感じるような感覚。かな?
とにかく、
時は進む。
2011年にこの国も根底から変わる可能性があったし、その疑問の扉は一瞬開いたが、何も変わらずその扉は閉じて、元の日常が支配し始めた。
2020年、コロナの状況の中、この国が根底から変わろうなどと考えていないこと、そんな希望さえ持つことがバカらしいことが露呈し続けている。
つまり、未来の日常をも、「何も変わらない過去」が支配し続けている。
変わることを期待した2011年、期待することすら馬鹿げていることを十分に理解できた2020年。
そんな感覚。
でも、この国を脱出する必要はない、まずは感覚的/身体的に内側に空や海を持つ事。
もうそれぞれが変わっていき、生きる力を身につけるしかない。
(ただ、外海は結構荒い。笑 「海は世界と繋がっている!」なんて誰しもが考えるが、向き合ってみると、その道が困難である事を同時に感じさせる存在でもある。だから、瀬戸内は穏やかな想像力(妄想力)が膨らむ。のかも。
愛知の海でサーフィンをする時、度々死の恐怖を感じたが、瀬戸内の海に浮かんでいると同じ海だと思えない。)