”帰国展”について
そうそう、昨年のヴェネチアビエンナーレ日本館2019の企画「宇宙の卵」からちょうど一年。
ようやく、アーティゾン美術館(旧ブリジストン美術館)で、”帰国展”が今日、オープンしました。
東京駅から徒歩5分。皆様是非。
この展示について少し書く。
”帰国展”という奇妙なシチュエーションと向き合った展示になっているとでも言おうか。。
ベネチアに行かずにベネチアを体験はできない、けど、”帰国展”というタイトルの元で、思考し制作した展示となっている。
(つまり、、、この展示は直接的な鑑賞表現を制作したのではなく、過去のプロジェクトをどのように残すか、に重点を置きながら取り組んだ展示になっている。逆に一年前の、ヴェネチアの日本館での展示の際は文字情報極力無い状態で、プロセスはカタログに納め、説明を排除した展示を行った。)
美術家と作曲家と人類学者と建築家とキュレーター(とデザイナー)で、日本館に向き合い、その一年後にさらにこの”帰国展”と向き合った。(その展示の間で2冊のカタログも制作)
2018年から1年間かけて、日本館での五人のコラボレーションに集中してきたし、それが日本館やベネチアビエンナーレという会場でようやく完成した。日本館での”出来事”は、作品自体は僕たちの手は離れているけど”出来事”であり”ライブ”だった。(このヴェネチアが決まってすぐに日本での”帰国展”を行うことも決まっていた。)
ただ、この五人のコラボレーションである「宇宙の卵」は、ヴェネチアや日本館という場所があったからこそ出来上がった作品であり展示。日本館という建築が持つ穴から降る自然光や重厚な大理石の床の素材やジャルディーにという場所性、ヴェネチアという土地など、それら全てと関係を持って制作は進んでいったし。別の場所なら全く別の形になっていただろう。その過去のコラボの出来事を、別の場所にどうやって持っていくべきか?そのことでメンバーで頭を悩ませた。アーティゾン美術館のために最初から作られたのならまだしも、やはりこれは”帰国展”なのである。
まずは、日本館でやったことを解体して、アーティゾン美術館の空間を考え、もう一度別の形で組み直すこと、も考えた。これは、空間が変わるのだから、形を変えてもう一回”ライブ”を作るという考え方。ただ、その場合、どこまでいっても、アレンジを変えた再演になってしまうし、日本館を超えるような”表現”にはならないように思えた。
そういった思考の結果、アーティゾン美術館の空間内には、日本館の展示を再現して、ベネチアの作品をそのまま入れる、という方向へと思考が変化していった。多分、日本館でやったことを再現はできない、そこから考え始めることにしたのだ。
ある出来事をその出来事を体験したようには伝えられない。ではどのように過去の出来事と向き合うか?
と、これは、戦争や災害のモニュメントの話と同様であり、作品「津波石」やプロジェクト「宇宙の卵」とも深く関わる問題だし、考え続けた結果がこれになった。
展示は出来上がった。
多分、この展示を見る多くの人は、それが作品でああり、表現であり、ライブだと思うかもしれないが。これはライブ音源の CDアルバムみたいなものかもしれないが、さらにその先を考えている。過去の出来事をどのように残し伝えるか、それが可能か不可能か、を考えた作品であり、それをさらに考えるための装置になっている。美術館へ来る人の多くは「本物はやっぱり素晴らしいなぁ」をしにくるのだろうが、僕らの展示は本物がそこにないことから始まっている。ただあえて疑似体験は持ち込んだが。
ひねくれている? はい。そうかもしれないです。
ベネチアには来れなかったけど、応援してくれたり、期待してくれていた人に、見てもらえる機会だから、そういう人に何が見せられるかもあった。メンバーで全力で作った表現であるので、是非楽しんでみていただけたら嬉しい。(上の階で、鴻池さんが作品表現をパワフルに展示内で展開しているが、それと対比させながら、この奇妙な展示をみていただけたら、少し僕らが何をやりたかったのかが伝わるのかもしれない。)
このような二年以上にわたる思考を、異なる専門性をもつメンバーと行いながら、大きな展示を2つも(さらに2冊のカタログも)作れたことに本当に感謝している。
そして、メンバーはこれを経て、すでにそれぞれの新しい道に進んでいて、それにとても刺激されている。