家族の生き方/直島の事情 1

2020年9月29日 11:41 下道 基行 */?>

なぜ、直島での【子育て】を選んだか、書いておく。

僕ら家族が暮らしていた愛知県の郊外は完全に車中心の生活だった。
保育園が終わって公園へも車、公園から家へも車。買い物へも車。駅までも車。
公園の周りも、家の玄関の前も、車が多いので娘と出るのが怖いくらい。つまり、家ー保育園ー公園ー買い物ー駅、と言った場所を車で繋いでいる生活。つまり、それらの間の世界は車で繋がっていて、路上がないみたいな途中との接触が少ない。空き地も柵がしていて子供も入らない。もちろん娘がまだ幼いのもあるが、ここで「作られた遊んで良い場所」以外ってどこにあるんだろうか。

人間関係でいうと、保育園への送り迎えの時、他の子供の親とは会釈するレベルで、集まりがあっても、なるべく距離をとる人だらけだった。それぞれ暮らしいている場所が広範囲で仕事や生活のレベルもバラバラだからだろうが、「他人に関わりたくない」というオーラを出す親が多い。保育園は必要だから子供を預けけて、横の関係やそれ以外は期待していないのだろう。

で、直島は。
人口は3000人だけど、その割に子供は少なくない。保育園では1クラス10人程度で前の保育園と変わらない。ただ、小さい島なので、親はそれぞれがどこの誰かわかっているし、挨拶や会話もある。さらに、放課後に校庭や園庭で他の子供と年齢を超えて遊ぶ機会も多いし、その時は他の親と話す機会もある。まぁ、家族も先生もそれぞれの素性がある程度筒抜なわけでそれによって、「他人と関わらない選択肢が難しい」のだろう。人と関わるのが嫌な人は地獄かも。笑
島では車が少ないし、車の入れない路地が多いので、一緒に歩いて散歩をする機会が多い。そして、そうすると近所のおじいちゃんおばあちゃんが、子供がいるととても親切にしてくる。子供にお菓子、家族にはとれたての魚や野菜などをくれたり、色々と。
どちらにしても、「他人に関わりたくない」タイプの人間は都会の方がオススメであるが、僕も妻も人と話したり関わるのが好きな方なので、島の生活での人との距離感は都市よりも向いていると言える。ただ、距離が近い分、情報は筒抜だし、色々と関わらないといけないことも多い。

島には、海や山が近くにある。つまり、「作られた遊んで良い場所」以外の場所が当たり前のようにたくさんある。そして昆虫や植物(海の生物や植物)の量がすごい。。これも嫌いな人は無理だろうが、幼い頃に色々な生物に触れることは重要だと考えているので、これも移住した理由の一つ。娘は変な場所に住み着いたカニを発見して「カニマンション」と読んで夏場は毎日パトロールしている。子供は意図しない場所を遊び場にする天才なはず、公園やゲーム機みたいな「作られた遊んで良い場所」ではない場所を自分で発見して欲しい。(いや「作られた遊んで良い場所」ですら新しく遊びを発見するだろうが。ね)
実は直島は山は豊かではない。それはかつての工場の公害や元々水が豊富ではない場所が関係している。ただ、海が本当に豊かだし美しい。波が穏やかで身近。見てよし食べてよし。保育園の帰りに、海でヤドカリや貝を探したり、魚を釣ったり。自然に囲まれていると季節を感じる感受性が高まる。


島に住んでみて思うのは、
幼い娘の記憶に、この風景や経験は残るのだろうかということ。僕自身もそうなのだけど、大人になって持っている過去の記憶って、幼稚園くらいからうっすらあって、小学校低学年くらいから強くなる。だから、2歳の娘にとって今の経験は潜在的なものになるだろう。それはそれで良いけど、どのくらいまでここで子育てをやるのが良いだろう、少なくとも。そんなことを考える。だから、幼稚園の後のこともよく考える。いつまでこの島に住むのだろうか、と。
島の小学校はどうなのだろう?
きっと、娘が小学校に上がると、僕ら自身が動きづらくなるだろう。根が生えてしまう。
僕らは移動をどんどんやってきたし、それによっていろんな発見をして、仕事をしてきたし、そういう意味ではまだまだ根を生やしたくはない。いつも「次はどこに住もうかなぁ」と考えている。とは言っても、一箇所には3年から10年は住むけど。
娘が小学校に上がる=家族で定住、かもしれない。では、小学校上がるまで島で、そこから別の場所へ?と想像してみる。僕自身は小学校低学年の時の経験がすごく今影響があるなぁと思うことが多いので、自然の多い環境で育てるのは良いと思っている。逆に直島以上に田舎でも良いくらい。

そんな悩みの中で、島の小学校のことを、島民の移住者の先輩から聞いたのが。
「小さい島の学校だから伸び伸び育つか?というとそうでもないよ。1学年1クラスしかなくて20人しかいなくてクラス替えもなくて。そういうずっと同じクラスメイト。場合によってはコミュニケーション能力が低下する傾向がある(話さなくても伝わるから)。さらに、友人関係がうまくいかないと逃げられる場所がない。さらに、みんな一緒な感じも強くて保守的な部分もあり、外からの異物に敏感。」と。
確かに。逆に、人数の多い小学校なら、同級生の誰かと上手くいかなくても、クラス替えがある。すごく変わっている性格や個性的でも、ほっといてくれる。
これは全てに当てはまること。東京のような様々な場所から来た人が入り混じっている場所だと、人と人の関わりが希薄な分、「ほっといてくれる」から、多様性は生かされる。逆に、島や小さなコミュニティだと、いい意味でも悪い意味でも、「ほっといてくれない」傾向がある。閉ざされた場所では保守的になる傾向もこれかも。まぁ全てはバランスだから、合うか合わないかは人それぞれ。
ただ、直島は風通しが良いので他者には寛容な方、さらにアートも身近だから異物にもアレルギーは少ないかも、そして移住者や観光客が多いしかなり都会的な島だと思う。日本中探しても中々ない珍しい島。

かつて、僕も妻も、小学校低学年で転校した経験がある。
僕は岡山のど田舎から、岡山の都会へ。妻は東京から愛知の郊外へ。二人とも、低学年の時の体験を強く持っているし、今への影響を感じている。ぼんやりと、小学校低学年までは重要だと思っている。
それなら、娘も「低学年まで田舎、そのあと都市へ」それも良いかもしれない。
それにしても、色々と考えてしまう。
しかし、自分たちで今のところは選択できるというのは本当に幸せだ。
まぁ、考える時間はまだある。
なるようにしかならない。成るように成る。

2020.9.29