家族の生き方/直島の事情 2

2020年10月 1日 08:57 下道 基行 */?>


直島に住んでみて見えてくる、この半年で見えた事を引き続き書きます。


まずは【食】の問題。
想像しやすい事としては、島は物価が高い。スーパーの食材は選択肢が少なく値段も高い。島だからしょうがないが、船で15分の対岸では250円のビールが200円、食材も豊富。薬や文房具や電化製品など手に入りにくいものも多いが、通販は早いし独自のルールで便利。ただこれの対応として、島民たちは15分の対岸の巨大スーパーへ二週間に1回とかで大量の買い出しに行く。ここでは、3000円以上で生鮮食品以外は無料で翌日島へ届けてくれるサービスをやっている。
あと、愛知の時は、週末に外食で様々な選択肢があったしよく利用していたが、直島の場合、飲食店やおしゃれな居酒屋もあるがほぼ全て観光客用で、島民はあまり利用しない。あるアート関係者は「昔の静かな直島は好きだったが、数年前に行ったら原宿竹下通りみたいな店が立ち並んでいて興ざめした」と話していたが、それもうなづける。悪くいうと味的にも値段的にも「海の家」的な存在の店が多い。店構えもある意味”竹下通り”的な店もある。カフェは多数、たこやき屋、タピオカ屋、タコス屋、カレー屋とか。つまり、観光客のための飲食店であり、日常生活者のための存在にはならない。ただ、観光客はそれでも並ぶ。そういう外に向いた飲食店しかない状況は事実。それを責めようとは思わないが、650円で定食が食べられる店とか、こだわりのあるラーメン屋とか、行きたいなぁ、と二週間に一回くらいは思ってしまう。あと、観光業に流され、古い街並みの残る場所がどんどん変化していくのは大丈夫?と気になる。


もう一つ、小さな田舎の島の問題は【家】事情。
まずは、空き家がない。あるにはあるが大家さんが家具や荷物そのままに放置している家が多く、なかなか貸してくれない。島内は、貸していない空き家だらけなのだ。(若い移住者や役場はその対応を行なっているが。)その中で、貸している家の家賃としては、かつては一軒家で2万3万円と安く借りられたというが、近年、島がアートの観光で盛り上がるようになって、大きく変化してしまっている。カフェやカレー屋や民宿をしたい都市からの移住希望者は後を絶たないし順番待ちの状況。(近所のうどん屋も毎週末大行列ができているしそれを見たら商売人は反応するよな。)なので、借りられる家の家賃は、対岸の岡山側よりも高級かも。さらに付け加えると、光熱費は島値段でかなり高い。(綺麗なワンルームで光熱費込みで5万とか。)しかも、幸運に一軒家を借りられても、借りられた家も直さないと住めない家も多いし、虫や雨漏りと戦わないといけない物件も多い。直島が好きで移住した人で、もっと好きになった人で、仕事もある若い人は、綺麗な家に住むためには、自分で土地を買って家を建てるしか方法はない。それは高価だし最終手段であるが、この島で都会的な生活をしたいならその選択肢しかない。人気の島、需要は高く、供給が追いついていないので、自動的にそうなってしまう。そういう意味では、福岡とか京都とか愛知とか千葉とか、地方都市の郊外とかの方が家も綺麗で破格の安さの物件だらけだろう。直島は離島なのに特殊と言える。

つまり、直島は小さな島で、自然もあるし古い文化もあるが、観光客が多く、移住希望者も多く対岸も近くかなり都会的であり、つまり、家賃や光熱費や食費など、ランニングコストがかかる島でもある。だから、直島の観光業で働く人々も、往復500円の船代(1ヶ月1万円以上)かけても、対岸から通う人も多い。

基本的に、僕は、定期的な収入が見込めない生活をしているので、これまで家賃やランニングコストを最小限に抑えられる努力をしてきた。だからこそ、制作を続けられてきたし、このコロナかでも影響は少なかったと言える。都市部で、家賃8-10万円とかで住むというのは、安定的な定期収入が見込めないとできない、だから、みんな自分の時間を売って仕事やバイトをやり続けないと、制作しながら生きられなくなる。まずは、家賃やランニングコストを最小限に抑えられるのが、制作をしながら生活していく第一歩ではないかとも思える。
(僕の場合、2008-2009年フランスレジデンス、帰国後2009-2010年友人宅を転々として、2010−2011年東京のレジデンス滞在、2012-2019年妻の実家。そして直島と、この十年以上家賃を普通に払ったことがなかった。)
だから、直島が子育てにぴったりで、自分のプロジェクトもあるので、移住の可能性をぼんやりと検討した時。まずは、家賃がほぼ無料である事は大前提だった。そこで妻が島の役場での仕事を得ることができて、そのことで家の紹介や住宅支援を得られて、格安で綺麗な家に住める条件を見つけたのはターニングポイントだった。それがないと移住を考えることすらなかっただろう。(どうしても直島に住みたい移住者は小都会並に高い家賃でボロボロの家に住んでいる現状。)そして、引っ越してみて、直島の子育てや家の事情が見えてきた。そして、僕らが綺麗な家を安価で借りられたことが非常に幸運であったことをあとで知る。
だだし、妻の役場の仕事も3年のみ。住宅も手当も3年のみ。2023年3月まで。その頃娘は5歳だろうか。なんとかその後、新しく仕事や家を見つけて、あと3年、娘が低学年まで暮らしてみるか。僕のプロジェクトがどのくらい続くか。まぁ、なるゆき次第だろう。笑

ご近所さんから「下道さんは福武財団で働いているのですか?」という質問が多いので、一応書いておくが。僕自身、直島のプロジェクトだけをやっている訳ではない。他の様々なプロジェクトが同時進行で進んでいる。その様々な仕事で生活費や制作費をまかなっている。その拠点であるスタジオを、愛知から直島に移動させた。移動の利便ではなく家族との生活を考え。島のスタジオを資料館として”生きた”プロジェクトにしようというのも初の実験。ここは、常にゆっくり考え進めていく場所/基地であり、ここから関東や関西、国外へと移動し仕事をしている起点だ。島という他への移動が少し不自由な場所だが、コロナで移動が出来ない時期だし、より、ゆっくりと深く考える時間を過ごせているのは幸運だったと言える。

2020.10.1