島民からの質問
移り住んだ直島で、地元の人から質問されることがある。
以下の2つの質問が最も多い。このような質問と答えが日々繰り返されているので、この場所に書き留めておこうと思う。
【質問ケース1】
(僕が日々フラフラしていて、福武財団が運営するスペース「宮浦ギャラリー六区」で毎日作業をしているので。)
島民A:「下道さんはどうやって普段お金をどのように稼がれているのですか?」
島民B:「下道さんは、福武財団に勤務されているのですね?」
下道:「いえ、アーティストは自由業なので、誰かに雇われてはいません。現在、国内外の美術館や企画でのプロジェクトを動かしていますし、その一つがこの直島ということです。」
島民B:「はぁ。。じゃ、福武財団の所有するスペースに毎日来ていて作業されているようですが、どのようにお金をもらうんですか?」
下道:「そうですね。直島は様々なアート作品がありますよね?それら作品はアーティストや建築家から購入して設置してるわけですが。僕の場合も、そういう作品の一つを今作っているのです。ただ、まだ完成していない。数年後に完成する作品をこの場所で、今作っています。しかも、そのプロセスも公開しながら。」
島民AB:「………」
下道:「こういう作り方は、僕にとっても財団にとっても初めてのことなので、どのようにお金をもらうかは、今一緒に考えながら動いているんですよ。」
(そう答えても、「なるほど!わかりました!」とはいかない。。。でも、そうだからこそ新しい挑戦である。)
【質問ケース2】
(僕が使っている「宮浦ギャラリー六区」というスペースは、”ギャラリー”なのに、展示をしていない時期があるし、僕が作業を行なっているので。。)
島民C:「空いているなら、島民の誰々が写真を取っているし、誰々が絵を描いているから、展示したらいいじゃないですか?」
島民D:「私たちがやっているサークルの展示会をさせてほしいわ」
下道:「そうですね。。「ギャラリーなのだし空いているし作品を飾ったり使った方が良い」のは理解できます。ただ、何か展示するか、というのはなかなか簡単ではないです。例えば、福武財団は三十年以上前からこの島で、国際的な芸術家や建築家を選び、そして一緒に作ってきたから、今の直島の”アートの島”というブランドがあるわけで、観光業もそのブランドによって保たれている部分は大きいのではないかと思うんです。直島には他にも魅力はありますが、ね。その福武財団の美術館やギャラリーの中に、どのような作品を入れて展示するか、誰と一緒にやるか、っていうのはとても繊細な話だと思うんですよ。」
島民CD:「………」
下道:「うーん。例え話をすると、島で”こだわり”の飲食店をやっていて繁盛しているとする。そこに善意であっても、周囲の人から持ち込まれた食べ物や、提案されたアイデアをなんでも入れるわけにはいかないと思うんです。そのこだわりの部分を選ぶセンスや技術がその店のクオリティや人気を作っているので。」
島民CD:「なんとなくわかるのですが………」
とまぁ、理解してもらえているかはわかりませんが、こんな感じで、率直な疑問をぶつけられるのは好きなので、今後も正直に答えていきたいと考えているのです。
大根1本100円は安いけど300円は高いから買わないとか、バスの運転手はどういう仕事であるとか、何曜日が休みだとか、スーツを着るとか着ないとか、そういう、お金の感覚や職業の日常感覚ってある程度共有していると思っているが、たまにそこからはみ出す人や存在がいる。日常的な尺度に合わない存在や生き方と出会った時に、自分の持つ物差しで考えようとするが、それに合わない存在との衝突自体がアートであったりする。ま、僕がそのような超えた存在かは疑問だが。
でも、10000円の大根って言われると、逆に食べてみたくなるし、実はバスの運転手の仕事の詳細を僕らは知らないんじゃないかなぁ。。と。
「宮浦ギャラリー六区」について書くと。
ここは、これまで様々な作家を選んで展覧会を行なってきた。ただ、ギャラリーというのは
、中が入れ替わり循環するのでいつも新しい状態にしておける良い点と、反面、常に面白い作家を探して、依頼して一緒に中身をつくらないといけない大変さがある。美術館には学芸員、ギャラリーにはギャラリストという専門家がいて、展示の企画をプロとして考えて運営している訳で。常に今の現代美術の展示を見て情報を集めて動向を知っておき、さらに様々なアーティストに合わせながら新しい挑戦を日々行わないといけない。だから、空間を作ったら、そこからたくさんの仕事が始まり、最初はよくてもそれをクオリティーを維持しながら、長期に運営していくことはとても大変なことだろう。
さらに、「宮浦ギャラリー六区」は、パチンコ屋だった小さな建物を建築家が個性的に改修した時点で、すでに”作品”であり、一つ完結している。それもこの空間の運営していくのは難しいところだろう。直島の他のプロジェクト「家プロジェクト」は空家+作家=作品が完成しているし、「直島銭湯」も銭湯+作家=作品、「地中美術館」も3作家+建築家=作品として完成している。ここだってパチンコ屋+建築家=作品なのだけど、中身が空っぽだから、その上に何かを入れないといけないのだ。
この「宮浦ギャラリー六区」のために、僕のプロジェクトである《瀬戸内「」資料館》は作られた訳ではない。しかし、このスペースが空いていたこともあって、というべきか、縁があって、、、このスペースを仮住まいとしている。偶然ではあるが、これも縁であるし、そのことで、様々な島民とのやり取りは生まれてくるが、これも面白いと思っている。
島民の方からの素朴な質問によって「アーティストの職業」「スペースの活用」について気づかされ、それに答えることで、僕の中で意識化され言語化されていく。
その記録も、このブログに残しておこうと思う。