話すこと
この数日、愛知に車で帰ったので。
なんだか、暇を見つけて、何人か旧友に用事もそこまで無いのに突然電話をしてみている。
電話は、結局、用事が終わった後も、だらだらと1時間近く話してしまう。
なるべく、向こうが忙しそうだったり、切りたそうなら切れるようには観察しているが、意外と長電話になる。
この感覚。15年くらい前では当たり前だった。
「電話は突然かかってくるもの」から、「まずはメールで都合の良い時間や都合を聞いてから、話さないといけない理由も書いてからするもの」に変わってしまった。用事もないのに、電話で話す機会は、文字でのチャットになった。メール社会の中で相手の時間を無理矢理に奪う電話は悪になった。でも、僕は文字でのチャットが苦手。でももちろん、頑張ってる、自分なりに。
そして、このコロナで。居酒屋や飲食店でダラダラと話す機会も失われた今、なんだか、すごく意味もなく、ダラダラと長電話するのが貴重だ。(あっちもそうであってほしい。ついつい長電話になってしまうのを見るとそうであるのではないか。)
コロナによって、制限されているのは本当に「移動」なのだろうか?
多分、もうわかってきたが、移動中ではなく。移動に伴う飲食、さらにはそこで行われる会話。(そういう意味で、GO TOキャンペーンは悪くないが、例えば、それで東京の人が北陸に行って、カニとか日本酒とか飲食しない方がおかしいし、そういう意味ではGO TOは感染拡大の理由になったと僕は思う。)
つまり、コロナによって、制限されているのは「話すこと」。学校でも、食事中に話すことはNGになっているし、会話するにも、マスクと一定の距離が必要であるし。他愛もない会話が押し殺されているように思うようになってきた。そんなことみんな分かっているが、その当たり前のことを少し我慢していることで何かがずれてしまってくる。
ちょうど昨日も、展覧会オープンして、作家やスタッフが集まっていたが、「よし、夕飯でも行くか!」って誘えない。そんなことって、今までになかった。みんなバラバラに帰っていった。僕も、帰りにコンビニでビールとつまみを買って一人で帰った。愛知県主催のイベントだしね。
そう考えると、僕の場合、月曜日は「山下道ラジオ」(福岡在住のファッションデザイナー山下陽光と)、金曜日は「微妙な放送」(香港在住のひんさんとひこさんと)、という2つのインターネットラジオで、その一週間のことを毎週喋っているは、なんだか精神状態に良いのかもと思えてきた。1時間程度、気になったことをお互いに喋り合うだけの放送。誰でも聞けるので、もちろん言えないこともあるが、それなりに言えるようになってきているし、良い息抜きになっているのかもしれない。
島や近所に、本当に話したいことが話せる人っている?
愛知にいるときは、2ヶ月に一回くらい、誰か誘って、居酒屋で毒づいていたが、今はそれがない。
作品制作のこと。家族のこと。年齢のことや社会への不安や不満。そういうことを、誰かと話すことで前に進めることは大きい。
ラジオを聞く人にも、何か効果があるのかな?
同じような悩みを抱えてる人が、そのラジオを聞いて、少し何かが軽くなったり、送ろうと思えば、こちらに質問メールもおくれるってこと。
この2つのラジオは、「話すこと」「吐き出すこと」を僕に与えてくれている。
と、ふと思った。