写真1枚

2021年2月19日 06:58 下道 基行 */?>

小学校低学年の頃、岡山のど田舎から岡山の若干都会に引っ越してきて間も無く。誕生日会に招待されて、山の斜面に立つある友人の自宅にはじめて行ったのを覚えている。それ以降、彼の家に遊びにくことはなっかったし、あれが誰だったのかすら思い出せないが。
そこで覚えているのは、山の中腹の大きな一軒家が立ち並ぶ、学区内でも高級住宅街とされるエリアにはじめて足を踏み入れた感覚、そして芝生が青々とする彼の家の中に入ると、巨大なレゴブロックの飛行機やおもちゃや物で溢れていたこと。羨ましさを通り越して、ぼんやり立ち尽くし、おもちゃも触るに触れなかったのを覚えている。誕生日会というのも、それが最初だったし、最後だったのではないか。誕生日会というのが何なのか?分からないまま、「プレゼント交換」というのがあるというので、僕は家に転がっていた、スプリングでできた握力を鍛えるアレを、綺麗めなチラシに包んで持っていった。なぜあんなのを持って行ったのか今でも分からないが、プレゼント交換の時に、綺麗な堤に包まれた友人のプレゼントと一緒に、セロテープで適当に貼られた自分のボロボロの包み紙が、友達から友達に回っていくのを見ながら冷や汗をかいていたのを覚えている。

なぜこんな、ちびまる子ちゃんみたいに、幼い頃のことをふと思い出し書き始めてしまったかというと。
昨日、愛知県の妻の実家の近くにある、ビレバン(ビレッジバンガード)が閉店し、壊されている写真が友人から送られてきたのがきっかけのようだ。そこには僕も妻もたまにふらりと行っていた。やることのない夜とかに。今でいうドン・キホーテに行くみたいに理由もなく。郊外の住宅街に立つビレバン3号店で、天白区にある一号店とほぼ同じような木やトタンで作られたカントリー風の大きな倉庫/ガレージのような建物。コカコーラの看板、アメ車、ビリヤード、ジャズ、そして雑貨、サブカルの雑誌や本。そのビレバンのコンセプトを体現するかのようだった。その建物が無残にも、ショベルによって壊されている写真。美大生になった僕は、吉祥寺にあるビレバンに通った。それが愛知県の天白からやってきたとも知らず。友人たちの家に行くと、小さなビレバンでも作るかのように店内からかってきたような”物たち”で小さな室内を埋めようとしていた。僕も雑誌をよく買って読んでいたし、ここで買った雑誌「spectator」の”あなたの記事求む!”のページをみて、持ち込むことではじめての連載や文章を書き始めるきっかけになっていった。ただ、大学に入りたての友人たち(特にデザイン科の学生)の部屋にはすでにアップルのパソコンが置かれ始め、インターネットも普及し始めていた。これが次の主役になるとも知らず僕も触れ始めていた。

いや、ビレバンには思い出がある、そして送られてきた写真によって感じてしまったのは、戦後から日本で続いていた「かっこいいアメリカ像や裕福の形」が終わったのだという、それを自分の思い出の地が崩れはてた廃墟となって出会うように、強く再確認したのだろう。アメリカからやってくる雑誌や物に囲まれる生活(雑誌も雑貨などの特集も多かったし)が豊かだという憧れた世代の次の世代としての自分と、それがいつの間にか終わり、全てがインターネットに飲まれて行った今に。


今、島で暮らす家には、雑貨や本が何もない。日々、使うものしかない。家具も前からこの家にあったものをそのまま使っているし、棚も必要になる度に、その都度ベニア板を買ってきて、その寸法で作っている。

時代は劇的に変わった。
僕も、大学生の途中からは自分もパソコンを買って、雑誌の真似事自分でも始め、文章をブログに書くようになり、ホームページを作るようになり、SNSで世界中の人とリアルタイムでチャットするようになり、自分で編集した自費出版した本をネットで売っているし、ネットで動画をみてネットで買い物をして、ネットでテレビ電話してミーティング、そこでトークイベントや授業までやって、、、。
時代は劇的に変わっている。
そういう中で、どこか遠い異国からやってくるものをありがたがる感覚がすっかり薄れてきたというのか。物に囲まれた生活が豊かだという感覚が失われてきたのか。
素人が本や雑誌やポスターを作るようになり、素人が文章を書くようになり、素人が映像番組を作るようになり、素人がラジオをやり、、、寡黙な専門職やプロの仕事が減り、「いいね」の数で素人にすり替わっていく。今も、アメリカ製のGAFAM(グーグル、アップル、フェイスブック、アマゾン、マイクロソフト)の支配下ということなのか。文化人が電力会社の電気を使わないとか自分で家を立てるとか農業するとか言っても、そういう生き方こそ、余計にGAFAMがないと生きていけない生活である、というジレンマはないだろうか。


時代が激変する?
いやいや、来る波に呼吸を合わせて、リラックスして乗ればよいのだ。
生き方も種類も広がっていくはずだから。

隠遁生活ってどうやったらおくれるんでしょうか。
後々田さん?