孤独の始まり
ようやく東京都現代美術館での展示がオープンできた。
東京都のアワードの受賞記念展示。美術館の巨大なワンフロアを風間さんと二人で分けて、それぞれこの一年以上かけて作ったものを空間内で完成まで持っていけた。のはたくさんの協力があったからだ。結構いい展示になっている。
今回の僕の展示は、2011年以降の作品を一堂に集めて、それらの作品群が独立して見えながらも、緩く接続しながら一体化する展示空間を目指したし、それは形になって見えた。2012年、同美術館のグループ展内で、シリーズ「torii」を国内でデビューした同じ場所で、シリーズ「torii」以降の10年の試行錯誤の現在進行形を見せる機会となった。3倍近いの巨大な空間でもなんとかできるし、もっとでかくてもビビらないなと自信になる経験だった。
しかし、今回は色々と疲れた。。。
ヴェニスでは、メンバーそれぞれの持ち場を分け合っていたし、キュレーターによる並走があった。お金の話とか事務的な話とかはキュレーターがさばいてくれて作家が気を揉むことがないようにしてくれていたし、建物や空間との関係は建築家やインストーラーさんとの協力があったし、展示中に「本当にこれで良いのか?」という疑問をなんどもなんどもみんなで話し合いながら完成に向かっていったし、完成後にも語り合ったし。
それに比べ今回は、アワードの展示なので、展示にキュレーター不在の環境の中で、メールのやり取り、空間から壁たてから、ライティングから作品の展示方法、カタログの構成や文章や写真などなど、一人で考え、一人で決定し、一人で指示を出し、一人で筆を擱く。いや、もちろん様々な人々の協力を得ている。ただ、僕にしか「考え」「決定」できないことが多すぎた。。。
それは自分で決められるという特権であり、孤独な作業だ。
大きな経験をさせてもらった。
今回の賞は中堅に向けてのもの。いつまでも若手気分じゃダメだぞ、と。
中堅になると、誰も褒めてくれないし、アドバイスもコメントもくれないし、どんどん孤独になっていくのだろう。その入り口に立たされたのだろうか。
これまで中堅以降の作家が、中身が更新されないまま、作品の規模だけが肥大化していくのをなんども見てきたが、そうなるのも頷ける。 多分、一人孤独なまま、展覧会の規模と期待だけが大きくなるのだろう。(しれっと悪口?W) さらに、芸能人が占い師とかにはまってしまうのも、孤独が背後にあるんだろうね。誰も、相談できる人や強い意見を言ってくれる人がいない、ということかもれないなぁとか。
どうやって、思考を進め、柔軟なまま、前へ進んでいけるのだろうか。
楽しみながら、自らを深めていけるのだろうか。
布陣を考え直す時期にきているのか?
このまま個人経営、家族経営でいけるのか?
隣の部屋で、風間さんが所属ギャラリーのスタッフと一緒に戦い、出来上がった展示について、ワイワイと話していた光景が羨ましく映った。ギャラリーに所属するとこういういいことがあるのだなぁと思いつつ。
美術館から帰った夜や朝に、遠くの家族に電話しても、子育てと仕事が忙しく、電話も繋がらない。コロナだし東京の展示は見にも来れないだろう。これまで、家族経営でコンパクトで動きやすい布陣だからやってこれたのもある。でも、そのことで家族に期待しすぎていたのかも。家族経営の夢を捨てて、ギャラリーに所属したり、自分で誰かを雇うなど新しいプロジェクトの進め方を考える必要がきているのだろうか。
美術館と宿舎を往復するのみの生活。コロナもあるので、弁当を買って一人で食べて、ビール飲んで、寝るだけの日々。いや、本当に一人孤独な10日間だった。肌は荒れるし、腰も痛いし、ボロ雑巾のような状態でようやく完成。
制作はいつも孤独な作業だけど、今回はとにかく、孤独だった。
いやいや、まだ始まったばかりだ。
そして、コロナかだから、展示の完成を大勢で祝うこともなく、しれっと展示は始まった。
一つ、今回の場合は、同じ立場である、風間さんがいてくれたのは心強かった。彼女は一体どんな展示や本を作ってくるのだろう…とたまに考えることもあった。お互いに出来上がった空間と本を見ながら、言葉を掛け合った。多分、孤独の中で、道無き道を歩む中で、ライバルたちは時に一番の同志なのかもしれない。
今帰りの新幹線。
次の展示予定のリマインドの中で、
頭がぼんやりしている。
島に帰るために、PCR検査を自分で受けにいった。
結果が出るまでは1日、岡山で隔離生活だ。