アート観光地から文化特別区へ? (その2)
「小さな島にはプロはいない。」
そんなことを直島のある島民が話していた。さらに
「小さな島の人々は色々な仕事や役目を複数持ちながら支え合って暮らしているのだ」とも。
全くその通りだろう。
僕自身、最近、島にプロフェッショナルな意識が低すぎることを「海の家」的だと書いたばかりだったが、そのことについて、もう少し思考を進めてみたい。
「小さな島の人々は色々な仕事や役目を複数持ちながら支え合って暮らしているのだ」
と言われて思い出すのは、小笠原諸島父島に行った時のこと。週一回だけ東京から船で24時間で行ける孤島。
東京湾を出てそのまま南へ、甲板に上がっても周囲に全く陸地の見えない船旅を丸一日経てようやく島にたどり着く。まず島内で地図や情報を得ようと観光案内所に行くと、小さな島にそこまでたくさんの情報はないのだが、そこで島のガイドツアーの多さに驚いた。海や山の自然系ガイドツアーや歴史系や様々ガイド。都会なら一つずつおしゃれにデザインされたガイドがA4のチラシになっているだろうが、この島ではA4用紙1枚にずらりと15行くらいのガイドリストが何ページにもわたって並び、リストになっている。なぜこんなにもガイドツアーがあるのだろうか……。僕と友人たちは、その中で戦争遺跡のガイドを頼んでみることにした。60代の島民男性の方が数時間ほど島の戦争遺跡を詳しくガイドしてくれた。そのガイドさんは夜はバーを営むと話していた。
色々と島民と出会い話していくと、これらのガイドツアーは普段は色々な仕事をしている島民が得意な分野で観光客相手にガイドをやっているいわば副業の一つであることがわかった。小さな孤島で島民が様々な役割を持ちながら生きていくのは、とうに終始雇用が崩壊した都市部での仕事の在り方でも様々なアイデアを与えてくるように感じた。
その上で直島に関して思うことを、整理する。
直島も「人々は色々な仕事や役目を複数持ちながら支え合って暮らしているのだ」という部分はある。例えば、役場のAさんは夕方から子供にサッカーを教える指導員でもあり、お祭りでも何か大切な役割を持っている、とか。そういうことはあるだろうし、それは都会では少なくなった小さなコミュニティならではかもしれない。
ただ、この島の観光の産業を支えるのは、”アート”であり、世界に通用するプロフェッショナルな芸術や建築の仕事があるから人々が集まる。つまり「この島にはプロの仕事はある」のだ。
いや、かつてこの島を訪れた観光客はプロの仕事を見に来る目の肥えた人々だったというが、今はどうだろう?
2010年あたりから、芸術祭やSNSの影響で観光客の数は激増したがその反面で質はどうだろうか?
僕は、アーティストにとってのハレの場所にケを持ち込んでしまったのだろうか?
…………
今の直島は、年間を通して安定した観光客がやってくるし、おしゃれなイメージがあるから、小さな島にはカフェやお店や宿が溢れている。船で岡山から15分(高松から30分)でコンビニもスーパーもあるし、島に住んでいる感覚が少ないが、観光客にとっては行きやすい”離島”と言える。言ってしまえば、都会的。日本いや世界有数の観光地であり、日々、観光の商いの人々が風景をどんどん変化させている。地元の人用の飲食店はほぼなくなった。島とはいえど「江ノ島」みたい?
ただ、逆に、この島は対岸から通う人々も多いし、島の工場では転勤する人も多いし、観光客にも慣れているし、言ってしまえば、離島などではありがちの「コミュニティの閉じた感じ」「移住者に冷たい感じ」がびっくりするくらい無い。そのこの島が持っている、都会から移住し生活するにはハードルの低い離島とも言える部分を、別の方向に活かせないか?と。 「おしゃれな観光地」ではなく「生活しやすい島」として。
直島は島としての良さも十分に持っているから。
(いや、島にプロはいる。
タコ取り名人もいるし、”アート”を支える人々もプロの意識を持っている。
まぁ、やはり、ただただ”アート”を観光で消費する事が加速しすぎて、生産的では無い現状に疑問を強く感じているんだろうなぁ。)