丸亀での現在
最近では参加したグループ展が不本意な形で中止したり、リモートでの下見や設営を余儀なくされたりする中で。今回は同年代の作家が集められたこともあって、こんな状況下でのグループ展は何ができるかを話し合ったし、いつ始まるかわからないこのグループ展をみんなで進めてきた。作家が期待されることとして、”知らない地域をリサーチして”とか、”地元民と触れ合いながら”とか、”たくさんの来客を呼べる”みたいな、そんなのすべてが無残にもひっくり返っていく中で(移動できない、関われない、集まれない)。通常のグループ展がキュレーターとそれぞれの作家の間のみで進行するが、今回は参加作家やキュレーターそれぞれが住む地域から劇的に変化していく世界を見つめながら、月一回、馬鹿話を交えながらZOOMミーティングを重ねた。(その様子がレンチキュラー として形に。)
紆余曲折しながらも、最終的には”普通のグループ展”に着地したし、タイトルも初めの企画書の『地方都市の現在、丸亀の場合(仮)』が2年経って『丸亀での現在』。これは最初の目的地と近いようで、似て非なるものだろう。僕にとって「コロナによって翻弄された」これまでの展示とは違い、受動的ではなく能動的にコロナと向き合って完成した展示はこれが初めての経験だった。ナデガタのように直接コロナを”ネタ”にした作品はわかりやすいが、そうはないKOSUGEと旅ラボの2組もコロナを経験した上で生まれてきた新作になっている。
旅ラボ作品は空間内には存在しません。(実際には外にもないし、作品でもない。)
僕らの展示物の内容は、KOSUGEとナデガタの制作プロセスを間近で観察し彼らを比較しながら調査したフィールドノート。2組の展示空間のすぐ後に作られた「KOSUGE&ナデガタ資料館」のような空間。マモルはそれを「カステラの耳の美味しい食べ方の提案」と表現したが、作家が作品を作るプロセスで削ぎ落として捨てていった部分を拾い集めて、再提示するような表現になっている。これはアーカイブの醍醐味であり、瀬戸内「」資料館での経験が違う形になったとも言える。マモルも僕もお互いに作家として個人個人の表現を作り続けた結果見つけた一つの実験場かもしれない。
そういえば、展覧会オープンの前日に、隣の空間で展示しているナデガタの山城くんが訪ねてきて、「僕らの音、うるさいかなぁ…?」と聞いてきた。僕はナチュラルに「僕らの空間はどんな音が響いていても、ここの環境として考えているから大丈夫だから。好きな音でいいよ。」と答えた。(そういえば、数日前に彼らの映像作品内の曲をマモルに作ってくれないか?と勧誘に来た。絶妙な越境案だが、こちらも佳境なので断ったり。)
2012年のあるグループ展で、あの時は、自分の写真作品の展示空間に壁を越えて流れてくる彼らの作品の音楽が許せなかった。(あの時の企画は横のつながりを意識されていたが、残念ながら、)作家同士は壁を隔てて自分の作品を守りあっていたし、逆に相手を出し抜こうとしていた。あの時も同年代の作家たちだった。でも、その多くは初めての大きなグループ展で殺気立っていたし、経験者たちは達観視してアウトボクシング的に仕掛けてくるし、なんだか色々後味も良くなかった。(もちろん仲良しこよしがグループ展ではないが。)ただ今回、コロナという不可抗力も働いて、グループ展という根本に触れる機会があり、あの時のモヤモヤが一つ消化される瞬間が起こったようだ。
KOSUGEの絵画は自分の壁を超えて、ナデガタの空間まで動いていくし。笑 僕らの空間は、壁で閉じられているが、逆に他の二組との新しい関係性に開こうとしている。さらに、旅ラボは、展示が始まった今、カタログの編集作業に入っている(展示のポスターなども製作した)。風桶展でできなかったことを少しづつ更新して、さらに日本館での経験も底力になっている。
まぁ、誰になんて言われるかは分からないが、二度とできない展示になっている。今をしっかり刻んで、全部過去としてほり捨てながら、前進あるのみ。
挑戦の場を与えてくれた人々と一緒に作り上げてくれた人々に強く感謝している。