丸亀での旅ラボ
今回『丸亀での現在』MIMOCAでは、旅ラボは美術館でのデビュー戦となる。
だから、旅ラボのことや、丸亀で旅ラボが行ったことを書きたい。
旅ラボの結成は、Tokyo Art Research Lab(TARL)がきっかけだ(もちろんmamoruと僕との過去の関係性あってだが)。まず、TARLの森司さんが十和田でmamoruが行なっていたプロジェクトを見て「TARLで何かやってみないか?」と声をかけ、そのmamoruが下道を誘って、旅ラボは結成されスタートした。
TARLとは「新しい分野である「アートプロジェクト」は、必要な職種や専門性などもまだ確立されていません。TARLではその新たな領域を開拓するために、アートプロジェクトの最前線の現場や各種専門分野から、講師やゲストをお招きし、人材育成や研究・開発を進めています。(プロフより)」という組織。つまりは、TARLというのは従来のアート作品ではなく、プロジェクト型アート作品が生まれてくる現場を立ち会ってきた人々が立ち上げた、”新しい分野である「アートプロジェクト」”を支えるためのスキルや人材を生み出す組織。つまり旅ラボは、「アートプロジェクト」を研究開発するための組織から依頼によって結成した「アートプロジェクト」グループということだ。(バンドに例えるなら、結成したバンドが大手レコード会社と契約を結び活動していくのではなく、大手レコード会社の企画によって結成したバンドがその後独立して活動の幅を広げた「モンキーズ」みたいなもんか。)
でも、「アートプロジェクト」というか「プロジェクト型アート」作品っというのは、従来の作品スタイルには収まらない形で(アトリエで描いた絵をギャラリーに飾るのではなく、街の中で市民を巻き込み作品が生まれてくるみたいな方向で)生まれてきたわけで、TARL内で「アートプロジェクト」を行うのはまさに絵に描かれた虎を捕獲せよ、と依頼されたような状況でもある。その中で僕たちに課せられていたのは”作品を作らない”ことだった。さらに、TARLを退職した芦部さんをグループ内に巻き込んでいくなどなど。なんか、メタ的すぎて、自分たちでもよくわからない構図の中で生まれたグループと言える。
TARL内で旅ラボが期待されていたのは、「アートプロジェクト」で行われている”リサーチ”の研究開発と言える。この”リサーチ”というのはアカデミックな世界でいう”研究調査”、とは少しズレた場所(アートの世界)で発達していきている”アーティステック・リサーチ”を指すだろう。当初は、旅ラボ自体がアートプロジェクト的な何かを行いそのリサーチのプロセスを記録し残す、という期待もあったと思うが、その場合、リサーチのプロセスを記録し残すためにアートプロジェクトを行う、というあってはならない逆転がすぐに予想できるわけで。そこで、旅ラボが行ったのは、「アカデミックの枠を超えてリサーチを行い表現を行う人々を調査し発表すること」。アートではなく「アカデミックの枠を超えて」いる人たちを対象にした。例えば、世界のお菓子を食べながら旅をして、その後、お菓子屋さんをつくった人、とか。旅ラボのプロフには「フィールドワークの手法やアウトプット、リサーチ過程における様々な要素、ふるまいに関するグループリサーチを旅やイベントを通して行う。」と書いている。あらゆるジャンルで実践の中でリサーチを活用しながら、別のアウトプットに至る過程や表現をしている人を探し歩いた。しかし、そんな中、やはり、いつかやってみたいなぁと思ってきたのが、「本気で”プロジェクト型”作品を作ろうとしている作家に張り付き、最新作の制作の裏側で彼らを記録しアーカイブをつくり、作品が生まれる瞬間や手捌きを再提示すること」だったが、TARL内で活動していく期間でそれは叶わなかった(4年目はその企画も提案していたが)。最終的に、4年間のmamoruとの試行錯誤で旅ラボだけが扱える記録方法と表現方法を開発はできていた。その一つは《フィールドノートの同時筆記》という感覚だろう。しかし、それもまた、試験管の中で開発された表現のようなものであって、本当の意味での”実践”として使われることはなかったと言える。鍛えられた筋肉が本番で動くのか分からないまま、TARL内での活動は終了し、旅ラボは活動の継続を考え、TARL内での最後の仕事として自らのWEBを制作。
そんな中で、丸亀でのグループ展の話が舞い込む。
対バンはKOSUGEとナデガタ。現在のアートプロジェクトを牽引するような2グループだし、古くからの知り合いでもある。こんなグループ展の作家の選択が本当にあり得るのだろうか?内容を見てmamoruと笑ってしまった。これはまさに旅ラボにとっての”実践”の場が舞い込んだわけだった。
今回『丸亀での現在』MIMOCAでは、旅ラボは初めての実践を行なった。
参加作家として、他の参加作家の2組を調査することを表現として空間内に持ち込んだ。
しかも、最後にフィクション化したりして作品化するわけでもなく、記録して調べただけ。
2組の作家側からしたら、居心地が悪かっただろうし、最後の最後まで「お前ら(旅ラボ)のモチベーションは一体なんだ!?目的は一体なはんだ!?」と疑われ続けた。笑 それはそうだ、グループ展の最後の部屋に他の作家を紹介したり、語っているような映像を作っているんだから、気味が悪いだろう。
上では、旅ラボの成り立ちからのモチベーションを書いたが、もう一つ、作家としてのモチベーションというか僕自身(mamoruもかもしれないが)のモチベーションを書いてみようと思う。
昨年、自分の作品集を自分で編集しながら、自分の作品についての解説を自分で客観的に書きながら、「あぁ、誰か僕の作品について書いてくれないかなぁ…」と悶々としていた(寄稿者として2名より素晴らしい文章を書いてもらったが、常日頃からの悩みとして)。自分で作った作品について自分が語れるのはもちろんだが、予定調和で退屈であるし、恥ずかしい作業でもある。そんなある日、ナデガタの中崎と話す機会があった。彼もちょうど、自分の作品集を自分で編集制作していて、「結局、新しい角度から語ってくれる人って、中々いないよねぇ…。だからと言って、自分で何か書くのもねぇ…」みたいな会話になった。さらに、大学の一つ後輩の作家であり批評家の石川卓磨の書く展評がすごく刺激的だった事などもあったし。
「生み出された作品の批評を今の専門家たちが言葉にしていないのではないか?作家の友人たち(後輩同期先輩など)が言葉にした方がよっぽど新しい角度から新しい光を与えてくれるのではないか?」などという感情がストレスが溜まりに溜まっていた。批評や言葉の専門家が育っていない、それはこれまで多くの人がそれには言及してきたし、最近では、卓磨や他のアーティストが批評を意識した私塾のようなものを始めたりする動きも出ている。
例えば僕の経験として、よくある事といえば、展示を見に行って誰かの新作を見て衝撃を受けたが、専門家から何も光を当てられないまま(もしくは噂レベルの高評価で)終わっていくのを何度も見ているし、(だからと言って作家としてライバルたちが声を出すこともないのは普通だろうし)、逆に、語りやすいだけの擦られまくったネタやロジカルで作られた新作らしい作品を堂々と語っている専門家(批評家や学芸員)を見るのは日常化している。
(いや、やっている人はやっている。もちろん。そして、下道の作品が語られるに値しないだけかもしれないが、もう少し続ける。)
正直、批評家や学芸員のような事は全く僕の仕事ではないし、そこを自分みたいな中途半端ができることではない。そこはしっかりと理解してるつもりだが…、なんか溜まっているストレスが…。
そして、この2組と僕らのグループ展という奇跡が起こってしまったって事で。なんだか、色々な気持ちも相まって、「おっしゃー!ガチで作家として他の作家を近距離からガン見して記述し語ってみようじゃないかー!こいつらここが面白いぞーって!やったる!これが最初で最後だー!」と、妙なテンションで立ち上がってみたわけだ。
もう一度書くと、批評家や学芸員のような事は全く僕の仕事ではないし、そこを自分みたいな中途半端ができることではないと思っている。
でも、この機会に、一度くらい、作家として、他の作家を全力で間近でガン見して、語ってみてもいいんじゃないかと思ったのだ。そういうのを、居酒屋とかでやるんではなくて、大舞台で人前でやってみた方がこちらも見る人も本気で届くんじゃないか、と。
ざっくり書くとそういうモチベーション「も」あった、ということ。
(つづく)