愚痴、直島、焼酎
(毎日がハッピーで充実しているのだけれど、あえて書きます。)
最近、脳が、思考が、停止してしまっていた。
メールが返せないし、溜まる一方で、思考が進まない状態。
(今までに比べるとです。最近。)
瀬戸芸で《瀬戸内「 」資料館》の新作はオープンしたのに、この場合、展示のオープンは制作の終わりではなく、始まりを意味しているわけで。今週、オープン間もない展示会場で、資料館の棚作りをDIYしてて、ドライバーで指に穴を開けてしまった。血がどまどま出た。
(地獄絵図)
なぜこうなってしまったのか。
なぜだろうか。
書いてみて整理してみたい。
今までは、3年前までは、
例えば2ヶ月に1つ展覧会が入っているとする。すると1年で6本。
でも、実際は大体、個展とグループ展合わせて、年間10本くらいはしているのでそれ以上しているが。一つ一つを進めて終わらせながら、先へと進めていった。1年が終わること、「今年も頑張ったー」と一息ついて、打ち上げをやった。
展覧会や芸術祭は期間限定なので、1年や半年前から準備が始まって、3ヶ月前くらいからバタバタと本腰が入っていく。そして、オープンすると重荷を下ろすように軽くなって、ぱたっと終わり、次に向かう。
しかし、、、
最近、子供が産まれて、子育てもしっかり参加したいので、移動ばかりの生活をやめて、家族で島に移住して、毎日ルーティーンワークにしていった。(それがコロナと重なった。)
それから、すでに2年半が過ぎた。
毎日、9時に子供を幼稚園に送り資料館/スタジオへ、17時に保育園に迎えにいくと仕事終了。その基本のルーティーンに加えて、資料館では月曜日木曜日は9-16時で「窯工部」、水曜日は17:00-18:30で「子供の塾」。さらに、土日は幼稚園が休みなので、子供が家にいるので、どこかへ遊びに出かけたりと、基本仕事はできない。
と、
こういう毎日のサイクルが固定的にあり(そう言うのは初めて)、さらにコロナ禍でそれが強固に固定化して、ずーっと島にいる。3ヶ月くらいに一回展示の下見などで都市に行く。ひさしぶり感。コロナ禍で人混みにドキドキ緊張する。そういう生活に息苦しさをベースに感じるようになってきている。旅に行きたいのにいけない。さらに、島から車で船に乗ると3500円かかるので、島の外にすら、なかなか出れない。船の時間で行動する。
でも、ここまではさほど問題ではない。
さらに言うと、
最近の僕の最新作、現在進行形の制作中の作品/プロジェクトは《瀬戸内「 」資料館》と《新美塾!》。これらは、これまでと作品形態が全く違うことに挑戦している。これまで、沖縄のフィールドワークからの作品から一転。瀬戸内海の島に定住して、写真も撮らないし、旅もしない、ある意味”場づくり”的で”ラーニング”的で実験的。旅して撮り溜めて編集して発表して終わり!準備してオープンして終わり!ではない方向へとどんどん進んでいる。こう言う作品形態には、人間関係の構築があるので、種まき、水やり、などが日常的に必要である。なんというか、子育てと一緒で、ずーーーーーーっと終わりがないのだ。(こう言うことを”作品”としてやって、終わりがあるなら、それはそれ風の作品なのだろう。)
ま、毎週毎週、島で子供に塾をする、島に部活動を作る、というのを始めたもう一つの理由が、周囲の同年代の作家が「美術大学の先生」になってきていることへの反抗かもしれない。ゼロから自分で島で学校のような学びの環境を作ってみようと。だから、数回のワークショップで終わりではなく、ルーティーンで毎日毎週で長くガッツリやってみたいのだ。
さらに、
今まで通りに、(ありがたいことに)、作品を展示する仕事も入ってくる。
そう言う、今まで通りの感じで、展覧会に参加しながらも、それに加えて、終わらない作品形態を実験し続け(それは終わりも完成も見えず)、その二つの予定をやりくりする。娘は超可愛いし、毎日劇的に成長するから見届けたいし。そう言う、いろんな状態が重なりまくって、終わりも”打ち上げ”もなくて。で、こうなったのかも。
ま、サラリーマンとかはこう言う状況なのだろうけど。僕はその道を進まないように生きてきた。
もちろん、人間関係や大きな意味での制作やフィールドワークに終わりはないのかもしれない、でも、「制作して発表する」ということの取り組み方が自分の中で変わっていっていて、それによって今、心身疲れてしまったのかもしれない。
あ!
すみません!
メール返しますー!
もう少々お待ちくださーい!