去年の今日の日記
成田空港から朝一に出る便に乗る為に、東京と空港の中間あたりに住む友人の家に泊めてもらった。
ちょうどその日、彼の奥さんは妊娠中で体調が優れないと2階で休んでいた。
旅行自体は、ある尊敬する人のクロアチア取材にカメラマンとして同行するという仕事だった。
夜、友人が、大学の頃からの親友でさらに久しぶりということもあって、案の定深夜まで呑んでしまった。
2階に奥さんの様子を見に行っていた友人が階段を転がるように降りて来て「もしかするともうすぐ生まれるかもしれない…」と酔いがふっとんだ顔で言った。妊娠中の彼の奥さんの陣痛が突然はじまったらしい。僕はのんきに「めでたいね」とコップに酒をつぎ乾杯をしようとしたが、彼はそれどころでもない様子で(当たり前だ…)、完全に落ち着きを失っていた。友人と僕は徹夜を覚悟した。1時間くらいたって奥さんが2階から大きなおなかを抱えて降りて来て「なんかまだ大丈夫そうだから、少し眠って」と言った。仕事のこともあったので、彼がそわそわしている横で少し仮眠をとった。
どのくらい寝ていたのか、彼が慌ただしく動いているので目が覚めた。「今破水した…」。時計を見ると僕ももうでないと行けない時刻になっている。3人で車にとびのった。
車内は今にも生まれそうな雰囲気の奥さんと彼の緊張感が充満していた。ただ窓の外は春の朝の千葉ののどかな田園風景が流れて、僕はと言うと、車に揺られながらボケボケとして頭と身体で、幸せがはじまるような温かさを感じて、なぜか少しうるっときていた。
結局、病院の近所の駅で降りた。そこは空港からは遠かった。空港の待ち合わせ場所に予定時間を20分遅れ、汗だくになって走った。目はうつろで、口からは酒の匂いを漂わせ、「友人の奥さんが朝破水して…車で病院へ…」と明らかに嘘っぽい言い訳をする…、なんと胡散臭く不安なカメラマンを雇ったものだと思ったろう…。
日本からの飛行機は、もちろん何もなかったように普通に離陸した。病院に駆け込む彼らを想像した、友人の息子が無事生まれたかが気になったが、今日から2週間パソコンも携帯も持っていないので知ることはできそうになかった。
ウィーンを経由してクロアチアの首都ザグレブでトランジット3時間、イトウさんは今飛行機の中で読んでいた本について話した。「愛」や「自由」や「平等」って言葉を日本人は本当に理解できるのか…日本語に訳された時のズレや、そのような話だったと思う。そして僕はそれらの言葉を「美術」という言葉に置き変えながら聞いた。ザグレブから乗った小型の飛行機はドゥブロヴニク郊外の空港に夜22時に到着した。
小さな空港で、飛行機から直接滑走路を歩いてゲートに向かう。夜の匂いがした。そして湿気を含んだ風に少し爽やかな花の匂いが混じっているように感じた。
空港から出ると、最終便だったのか、何もない空港側には何台かタクシーが止まっているだけだった。ぼくらはそれらのひとつに乗り込んだ。今回の取材は、ある雑誌の記事の為にここドゥブロヴニクでカメラマンとして同行するというものだったが、取材終了後、足を伸ばしてボスニアまで行くことになっていた。何と出会うかは決めていない。
車内にはカセットテープでマンドリンの軽やかなメロディーが流れている。
「これはイタリアの音楽ですか?」ときくと
「いや、この辺の音楽だ。イタリアは対岸だからね。良く似てるんだよ」と運転手のオヤジは、観光慣れしているのか、聞き取りやすい英語で言った。
タクシーは一山越え、海岸の斜面をうねりながら走る。
「きみたち、どこに行くんだ?」
「クロアチアはドゥブロヴニクに1週間、そのあとボスニアのモスタルとサラエボに行こうと思っています」
「モスタルもサラエボもきれいな町だ。本当にとてもいい所だ」
そういうと、少し沈黙が流れた。
「でも、ここの町その町もね、戦争で破壊されたんだ。今から行くドゥブロヴニクも本当にひどかった…。美しい町だったのに…。たぶん、君たちは、この旅の中で、何度も『なぜ?』『なぜ?』…、って疑問を持つだろうよ。」
オヤジは静かにそういった。
「アドリア海の真珠」と呼ばれるドゥブロヴニクは、十数年前、セルビア人の爆撃によって破壊された。この内戦でたくさんの人が死んだ。ただ、ドブログニクの人々は、戦後、全力で街を戦前の姿に戻すため奮闘し、今はもう戦争の傷痕を見ることすらないまでになっているらしい。本で読んだ。
「あぁ、この橋渡ってまっすぐ行くとすぐにボスニアの町があって、そこも本当にいい所なんだよ。時間があったら行ってみたらいいよ」
やけに隣の国の事を懐かしそうにほめるオヤジ。
「あ~、そうかぁ…、隣の国のことほめまくってるけど、内戦が終わるまでは同じユーゴスラビアって国だったんだもんなぁ…」
とオヤジに分らないように、ひとりが日本語でつぶやいた。
タクシー運転手はもう陽気な顔で家族の話をはじめている。
英語の会話は、聞く意識を働かさなければ、言葉としての認識が薄れ、カセットテープの異国の音楽や車のエンジン音と同様に、すぐに環境音のようになる。
窓の外を、小さな港町がいくつも通り過ぎていく。
海も辺りもは既に闇に包まれ、山と海に挟まれた港町は、天の川のようにうねりながら眼下で煌めいている。そのひとつひとつの明かりが、ひとつひとつの人の生活なのだとふと思った。
(未発表「クロアチア日記」1日目より)
ちなみに、このドゥブロヴニクって街は、「紅の豚」のモデルのひとつ。
そういえば、トールと作ったこの千葉の友人の結婚式ムービーのラストもこの映画の加藤登紀子の曲だったね。偶然。
旅中には知らなかったんだけど、
友人夫婦の元気な男の子は、この日無事生まれた。
だから今日は誕生日ということ。
カイジ。
1歳のお誕生日おめでとう。
2010-04-20 00:04