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青森→(フェリー)→北海道→(フェリー)→新潟→東京。
am10:30小樽発。am6:00新潟着。[bridge]を撮りつつ、山道を下道で走る。途から雨。夕方、くそあつい熊谷、夕暮れ時少し涼しくなってきたなか、連絡を取って大学の同級生Nと会う。公園でノンアルコールビールで乾杯。最近の話。夕焼け。
暗くなる直前に別れて、三軒茶屋のシェアハウスに着。ドイツ人が新しくシャアメイトに加わったらしく、しっぽりパーティ。Joseも深夜から合流。
まぁそんな感じで、とりあえず2回で1ヶ月半近い旅が終わりました。
●東京→愛知→大阪→岡山→広島→山口→兵庫(バイク故障)
●(半月後/修理終了)兵庫→愛知→石川→富山→新潟→山形→宮城→岩手→青森→北海道→新潟→群馬→東京
北海道のフェリー乗り場で、バイク乗りたちと並ぶと、自分がなんと変てこな格好で旅をしているのだろうと、少し恥ずかしくなったりした。
バイク乗りたちは、バイクを愛してるし、よくバイクや装備について、話したりしている。
それに比べ、僕は近所の銭湯へカブでツッカケで行く様な格好。
でも、まぁ、それでいいのではないかと思っていた。
移動/途中下車の小回りの利便性や燃費やフェリーなどの料金やいろいろな理由でこれになってるし、”北海道にツーリング”ではなく、近所の散歩の延長が日本になった様な旅かも。
東北は近かった。(実際に足を踏み入れるまでは遠かったけど)
それが正直な感想。
小学校2年生くらいの時に、一人で自転車で学区外まで行った時より、全然近かった。
そしてやっぱり、いろんな映像や言葉では何も手にしていなかったことを知る。
目の前の光景に唖然とした。”初めて海を見た犬”みたく。
数日行った活動が地元の人の為になったのか?
なんだろう、ボランティアって?
大量に流れ着いた身元不明の写真やアルバムの洗浄を行った。
メディアでは、それの写真が持ち主の手元に届く感動ドラマが流れていた。
実際は、毎日毎日発見され溜まっていく何万枚もの写真と、少しずつ写真を探しにくる地元の人の数が減っていく現実。
いろいろな場所の写真洗浄がバラバラに行われ、技術や情報の交換がなされていない現状。
ただ、僕の行った現場では、写真やアルバムを、洗浄する前に、スキャナーやデジカメで複写していた。それは洗浄によって消えてしまう画像に対する責任ともし修復する時に役立てるためらしい。
残念ながら、こういった時をきっかけに、貴重で大量なアーカイブがはじまることに気付いたりする。アフリカのパーティー写真の商売が町の若者の記録になっていたMalick Sidibé [Chemises]を思い出す。stiedlの写真集。
http://foam.org/press/2008/malick-sidibé-chemises
小学校の遠足後に廊下に張り出された、「俺、何番と何番に写ってる」的な写真のパーティ版。
たくさんの方が復旧のために動いていました。
そう言えば、明日、トークです。
ユーストもあるようですが、できれば是非会場へお越し下さい。
2011-08-12 13:16