読書

2007年9月16日 04:35 下道 基行 */?>

情熱大陸で大竹伸朗がやっていた噂が、遥々パリにまで届き、知人はyoutubeで探したが見つからなかったらしい。
「そこまでしてみたいとは思わない」とかほざきつつ俺は、彼の著書「既にそこにあるもの」をスーツケースの隅に忍ばせて、パリに持って来ていた。
日本で読んでてバイブルというわけでもないが、正露丸みたいに何かあったら服用する程度で持って来ていた。


【P59−P60抜粋】
  画家とか彫刻家、美術家、造形作家、どう呼ぼうがどうでもいいが、そう自らを名乗る人間にとって、作品制作における”意図”とは一体何なのだろう。意識的な作品意図をどこかしら超える瞬間のないものは、もはや”作品”とは呼べない。僕はこの”作品”と”意図”の関係が今でも不思議でならない。
 古い佇まいを持つ料理屋の便所の壁はとてつもなく美しいものが多いが、それをそれをくりぬいて美術館の壁にかけ、タイトルが「料理屋の便所の壁」だったとしたら、多くの人はそこに抵抗を感じるだろうか。僕はそうした壁に全く異なる意図的なタイトルをつけたり、そうした行為に意味を持たせることなく、便所からはがした美しい壁に、「便所の壁」というタイトルを付け、人々がそのタイトルを見ようが見まいが同じように「美しい」と思えるようになればいいと思う。なぜならそれは便所の壁なのだし、それは美しいのだから。


ありがとう、今日の腹痛も少し楽になった気がします。
というか、今文章が書けなくて、写してみたくなっただけかも。


2007-09-16 04:35:14