宮本常一

2007年8月19日 02:35 下道 基行 */?>

かつて僕が通っていた頃、ムサビに2校舎という建物があった。
今では近代的な建物になっているが、かつてはボロくて薄暗くて、学生達は「昔女子寮で自殺があった」「レイプ事件があった」などと噂するような、どこの学校にでもありそうな怪談の舞台になるような建物だった。
事実僕らも酔っ払って探検したり、肝試しをしたりもした。でも、昼間に行くと雰囲気は、コの字型に立てられた建物の小さな中庭に作られた荒廃した小さな畑や、入り口近辺にあふれ返った民具の山。入り口には、「民俗資料館」みたいな名前の書かれた古めかしい看板が立てられていた。
少し廃墟っぽくて、大学内からは少し隔離された奇妙な場所だった。

そのころムサビの名物教授といえば、民俗学の相沢先生だった。かつてムサビで教鞭をとった宮本常一の弟子(?)らしい事は知っていた。授業内容にもなっていた先生の調査保存したという茅葺の集落「大内宿」の写真は、別冊太陽『宮本常一』のムサビ教授時代にも「武蔵野美術大学の愛弟子たちと総合調査を行った」として登場していた。

かつての2号館の持っていた独特の雰囲気は、宮本常一とそこに集まった愛弟子(学生)たちの熱気の残り香のようなものだったのだろうか。


2007-08-19 13:14:53