前回の台湾日記

2006年10月19日 15:06 下道 基行 */?>

Cのデスクトップを整理していると、前回台湾に行ったときの日記が出て来たので、今思う事と一緒にアップしておく。

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3泊4日の台湾旅行は、残念なことに台風と歩調がぴったり合ってしまった。
電車での台湾半周の予定は、電車は全線がストップのために、結局2泊3日間は全く台北に足止めをくらってしまった。しかしと言うかそのおかげで、台北の路地にひっそりとある「おおしろ」という名の日本人が多く集まるバックパッカーが集まる宿に泊まり、1日中薄暗い談話室で、「今までや今からの旅の話」や「怖い話」「恋の話」等々修学旅行の夜みたいな話をしながら多くの旅人と酒を飲み交わした。何か長い旅の途中、どこかも分からない場所に迷い込んだような時間だった。雨が小降りになると、台風に飛ばされそうになりながら何人かで夜市を散策したりもしたし、それなりに濃厚な時間を過ごせた。
「おおしろ」は、日本人が経営しているために宿泊客の多くが日本人だったことで、いい意味でも悪い意味でもラクチン過ぎた。

3日目に無理矢理走り始めた特急列車「自強号」に乗り込んで、朝一で「玉里」という田舎町を目指した。途中後ろの座席から見知らぬおじいちゃんに「あのボロい家は日本人の製糖工場の官舎」「あれはビンロウの木だよ」などと、上手な日本語で解説をしてもらいながら窓の外を眺める。噛みタバコに似た効果のあるビンロウの木は背の高いヤシの木のようで、日本統治時代に開拓されたという広大な田園風景のなかに所々茂り、台風の強い風に幹を激しく揺らしていた。
通過する駅は、、、と日本時代の名残を残している。到着した玉里は、一週間程度の旅行で日本人が立ち寄るような観光資源を持たない街。この街には神社の跡がきれいな形で残っていると言う。北回帰線よりも南なので木々や町並みは沖縄のように南国そのものだが、曇った天気のせいもあり寂れ具合が日本なら山陰の小さな街のような雰囲気を感じた。
少し雨のやんだ瞬間を狙って玉里駅の裏山近くの住宅地で、今回の旅初の撮影のセッティングをする。住宅地にまぎれて立つ鳥居跡は、針金で作られたバスケットゴールやテレビ用のアンテナがくくりつけられ、さらには一本の支柱は家の柱として取り込まれていた。
どこからとも無くチャリンコに乗ったガキ達が集まってきた。興味はあるが言葉は通じなし怖いのだろう、歩行者天国の人気のないパフォーマーのように僕はガキ5人に遠巻きで観察されている。手帳にドラえもんの絵を描くと、すぐに人懐っこい笑顔で近づいて来た。ジャパニメーションは世界共通言語か。(調子に乗って「カメハメハー!」って動作付きでやったら、ポカーーンとしてたけど…。)
一人の少年は家からしゃべる電子辞書を持って来て、こちらをちらちら見ながら「こんにちは」「さようなら」などと日本語を鳴らし始めた。片手間に少しの台湾語で電子辞書に返事をすると、ガキたちは外国人との初の会話にはしゃいでいた。
神社の跡を撮影しいると、「こっちのもあるよ」と言わんばかりに無言で森の奥にある遺構を子供たちが案内してくれた。3脚を立て、時間を忘れ撮影に没頭していると、パチパチと音が聞こえるので子供たちを見ると、ヤブ蚊の襲撃に遭い、かゆそうに足を叩いている。さらに撮影を続けていると、少年が電子辞書で叩いて、「どれぐらいかかりますか?」だって…。爆笑しながらガキたちにお礼と謝罪。
雨が降り始めたので山を下りて台北へとんぼ返り、これが唯一の予定通りの行動になった。ま、これも旅。と、思うしかない。帰りの電車で知り合ったサーファーっぽい台湾人男性は「ヒカル」という名前。窓の外が暗くなる中、僕らは筆談で会話を続けた。時折新幹線の売り子のように女性がカラカラとカートに引いたやってくる。「弁当売り」らしく、「ベントー!ベントー!」と言っている。
いろいろなところに日本の亡霊を見るこの国。

「おおしろ」に帰ると、宿泊客の唯一の韓国人の女性が、まだ夜8時半というのに談話室で話す友人たちに「うるさい!」と不機嫌そうな顔を見せに来たり、女性用の部屋でヒステリックな音を立てている。先日、テレビで韓国映画女優が日本韓国の相違を聞かれ「日本人が嫌に思った事を内面に押し込むこと」を挙げていたことを思い出す。それって悪いこと?

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陸上に誰かが引かれたり、海の上を浮遊している国の境を往復しながら旅をする。
人々の外見や家並みや風景とかは驚くほど似ていても、人々の内面の違いにはいつも驚かされる。
前者の相違は遺伝子的な流れの中で形成され、後者の相違は国境線のように政治的/人為的に形成された、そう思うことがある。

前者特に類似している部分を紐解きながら地球を旅するのも楽しそうだけど、今僕は後者を見ながら狭い範囲で観察したいのかもしれない。

旅していると、今その国にあるイデオロギーの前世代の存在/影のような物と出くわす瞬間がある。
僕が数年前に国内で出会ってしまったのは、戦前の日本。村上龍の『5分後の世界』みたいに。それは自国で異国の文化に触れるような感覚に近かった。僕は知らないうちに戦後に作られた国/国民の方向付けに乗っかって生きて来たわけで、その政策のなかで戦前がバッサリ切り離されていたのだろう。戦争なんていくつもやって来ているのに、1945年を境に戦前や戦後って言葉を使うのも独特だし、「かつてこんな国がこの島国にあった」みたいな感じで、戦前は捉えられてるように思える。

台湾は、色々な国に支配され続けた歴史のなかで形成されている部分が強くて、戦前戦後って切り離す訳じゃなくて苦悩とかも引っ括めて冷静に見つめながら動いて行ってるのだろうか。中国や韓国とは違う、独立国ではない流動性のようなものみたいに。

2006-10-19 15:25:50