個展 solo exhibition
[ 風景に耳を澄ますこと ]
[ Open yourself to the landscape ]
黒部市美術館、富山
Kurobe City Art Museum, Toyama, Japan
2016 7/23-10/10
風景に折重なる不可視の物語
風で飛ばないように物を抑える石、ちょっとした段差を解消するために挟まれる石、境界線をつくる石、隙間に敷き詰められた石、屋内においてはきっと漬物石にもなっている。昨年の夏、下道基行(1978−)は黒部市美術館付近の海沿い地域において、住民が浜辺の丸石を拾ってきて様々な用途に使う風景を見つけ、人々の生活の中で使われる「石」に興味を持った。以来、このさりげない石の風景を考察してきた。
周辺地域一帯はフィールドミュージアムにも認定されており、黒部川による大規模で美しい形状の扇状地が広っている。ここは山と海の距離が近く扇状地の扇端部分が短く海に到達しているために、付近の海は砂浜ではなく丸石が転がる「石浜」になっているのも特徴だ。また一本の川筋になるまでは、長雨や雪解の度に幾筋にも分かれ網目状に広がっていたので「四十八ヶ瀬」と呼ばれ古くから交通の難所としても知られていた。そのようなことで地域の大半は土を掘れば丸石がゴロゴロとでてくる。生活の中でも石が身近で、海や川原の石が信仰の対象として利用されてきたり、民家や田畑の石垣として積み重ねられたり、当たり前の生活の中でさりげない石の風景が形作られてきた。下道の石への着眼によって石と地域の人々の密接な営みや、その背景にある何万年もかけて形作られてきた地形や風景との関係に気がついた。
日本で古くから石は、信仰の対象、石器や石斧、石臼や漁具の錘などの民具、あるいは道標、さらには建築、土木的資材として、その他様々な用途が与えられてきた。下道が深く関心をよせる民俗学では人々と石にまつわる様々な事例が明らかにされている。石の崇拝について中山笑等の学者達と問答した書簡をまとめた柳田國男『石神問答』 が明治43年に出版されて以降、様々な研究が行われてきた。それらの業績によって、人と石についての営みが実に多様であることが分かり、石に対する想像力がいかに豊かであるかを知ることができる。野本寛一が述べるように、日本人は古くから「石を心と結びつけ、信仰と結びつけ、生活の中心に、心の核心に、場の中心に据えてきた 」ことは確かなのである。
折口信夫が「石に出で入るもの」の中で「石に宿る」という感性について説明している。内部空間について「うつぼ」を上げ「這入る所のない様に閉ざされて居ながら、何時か物の這入る様に用意されているもの 」とした。うつぼ木のような神聖な木と同じく用語例からは証明できないとしながらも「一番適切に、我々の頭に来るのが、石 」であると述べた。磐座、石神、多くの事例にあるように、人々は霊魂や神の依代として石を器のように捉えてきた。
また、鑑賞において代表されるものに日本庭園の枯山水がある。それは世阿弥の『風姿花伝』における「秘すれば花」に表れるように、秘められた姿を第一の美としそこに実体を見出すという幽玄思想に導かれた 。敷き詰められた小石に大海を見て、石組みに山や滝を見るというように、石は、見えない風景を見るための装置として人々の心の景色を受け入れてきた。
《石》(2016年)は、対象を中心に据えた構図になっていて物質としての存在が非常に強く押し出されている印象を受ける。一つ一つの形や質感が丁寧に伝えられていて、まるで意思を持ってそこに佇んでいるようだ。幾つもの石を見ていくうちにこの丸い石は、山の岩のかけらで、ひいては星のかけらだというような、広大で宇宙から俯瞰するような視点と何万年もの時間の奥行きを喚起させる。その姿形からは、昔人が石には霊魂や神が宿るとも考えたように、何ものかを内包していてもおかしくはないと思わせる。ミルチャ・エリアーデは、彫刻家のコンスタンティン・ブランクーシ(1876−1957)にとっての石は聖性顕現であると述べたが 、下道にとっても石は、果てしなく捉えがたく厳かな鉱物であることが伝わってくる。
一方で、幾つもの石の風景を行き来し、石の置かれた状況や背景に目を向け、切り取られた画面の外へと続く風景を想像してみる。そうすると、ある地方の極めて日常的でさりげない一場面だということに気付くことができる。宇宙まで思いを飛ばされたと思えば、変哲もない日常風景がありありと浮かんでくる。この石の器の大きさこそが、信仰の対象として祭られながらも単なる日用品として使われてきた所以であろう。宇宙的で形而上的そして日常的、作品においてはそのような両極性を捉え「石自体がもつ奥行き」と「日常のさりげない風景」の均衡を保持し、かつ同時に提示しようという試みが窺える。
また下道は、石にはそもそも決まった役割というものがないために人がそれに役割や価値を与えていると考えていた。例えば、海辺や川辺で石を拾う人たちは、用途に合わせて微妙に重さや形を選別し、丁度いい石を拾い持ち帰る。その時、スイッチが切り替わる様にただの石に役割が備わる。富山市北代縄文広場で限りなく原石の形を残したまま使用された石器類が展示されていた。形をざっくり言えば、どれも手のひらに入る丸い石だ。「敲石」は微妙に縦長で握りやすそうで、「凹石」は敲く物の受け皿とされるようにやや平たく使用後に中央部分が窪んだ痕跡もある、まん丸に近い形の「磨石」もあった。縄文人がわずかな違いを選別、選択し使用した石である。手に取った石の横にも、迷った結果に使用されなかった石があったはずできっと今もどこかに転がっている。時代を特定させにくいモノクロ写真による提示は、下道が捉えた石とその営みが現代のことでありながら遠い過去のことであるかもしれないと想像することを促している。
《石》のリサーチにおいて黒部市吉田科学館学芸員の久保貴志と朝日町埋蔵文化財施設まいぶんKANの川端典子に現地案内の協力を得た。考古学を専門とする川端は何万年、古生物学を専門とする久保は何億年という時間の中で研究を行う。彼らとの会話の中から、下道の視点は彼らの対象と比較すると、人々の営みを、圧倒的な解像度をもって捉えていることに改めて気がついた。民俗学者達が各地の集落の口承伝承や民話を内側から根気強く調査したように、下道も現地に足を運び、綿密に観察し収集していくことで制作が行われる。少年時代は近くの貝塚や古墳を独自に調査していたと教えてくれたが、考古学の発掘作業のように風景を掘り下げ想像していく。表層では「もの」を捉えながらも、その背景にある出来事や記憶や物語について丁寧に考察し、それらを編集してから作品として提示する。そのような下道作品は時として考現学 の系譜に位置付けられてきた 。福住廉が今和次郎や吉田謙吉の考現学の調査に芸術との共通点を見出し「観察者とはしたがって科学と芸術が重複する地帯を闊歩する者を指している 」と述べたが、それは下道の姿勢にも当てはまるように思う。
さて、《石》に見られたような両極的、あるいは多角的な視点は、これまでのシリーズを俯瞰しても見ることができるし、個々の作品の中にも見ることができる。日本各地に残る掩体号やトーチカ等の旧軍事施設跡を取材した《戦争のかたち》(2001−2005年)、植民地時代に建てられ現在も国境の外側に残る様々な鳥居の姿を見つめた《torii》(2006-2015年)等のように歴史的な出来事が背景にあるものや、大きな自然や時の歳月が作用するものがある。一方で、あぜ道や溝に架かる木板や鉄板等の橋のようなものを撮り集めた《bridge》(2011年)、境界を動物や人が跨ぐことでできた道のような痕跡《crossover》(2012年)、蓋がない器にお皿やティッシュなど適当なもので代用する日常の記録《ははのふた》(2012−2015年)等のように日常の中のささやかな行為によって作り出されたものや、作家のプライベートな事柄に起因するものがある。これらの両方について等価に好奇心の視線が注がれ、それぞれにとっての美しさが見出されてきた。
さらに一つ一つの作品の中に、消える/残る、移り変わり、漂泊、移動、記憶、痕跡、境界、価値や意味等の様々なコンセプトが常に複数内包されている。例えば朝鮮大学の鉄条網、コミュニティを隔てる川の水などを採集した《境界のかけら》(2012年−)は様々な境界を採取したもの。境界を取り巻く人々の歴史について想像される。さらに、採取されたかけらは意識する者だけに見える社会の境界であり、本当はただの物質でしかないのかもしれないと考えたとき、価値や意味についての思索が生まれる。この様に、作品に重ねられたレイヤーからは、鑑賞者が考えを深めるほどに様々な気づきが引き出される。
また、写真、映像、現物の展示、文章、資料等、多面的な方法で展示が構成されることで、下道が発見し観察していく過程における心の高鳴りのような感覚や思い巡らす様々な事柄を共有できる。
本展においては、幾つかのシリーズで「用」の持つ力についての考察を改めて試みようとしている。その関心は初期作品にまで遡ることができることからも常に向き合ってきた主題であることが分かる。
《torii》は、国境の外側の鳥居の姿を取材したものである。この鳥居は大日本帝国の政策によって建てられたものであり戦争が終ってもなお、姿を変えながらその土地に残っている。鬱蒼とした森の中に微かに見える姿、見晴らしのよい草原に佇む姿、その他、施設の門に転用されていたり、民家が押し迫り電信柱のように電線が引かれアンテナが立てられていたり、横たわった鳥居がベンチとしても使用されている。同じ文化を共有し同じ価値を共有するコミュニティの中で初めて機能する意味がその外側に残された時、意味の喪失を目の当たりにする。これらが植民地主義の記憶を象徴するような遺構であることは明らかである。その一方で、誤解を恐れずにいうならば、それらは写真の中に美しく佇んでいるし、日常的な雰囲気を感じられるものもある。《torii》を初めて見た時、文化的な意味や価値観の違いを知り互いの差異を認め合うという、どちらかかといえば、多文化主義的な印象を先に受け止めたことを覚えている。作品に対する考えは、世代あるいは鑑賞者それぞれの意識によって異なるだろう。しかしこのような様々な解釈を許容しているのは、作家が中立な立場をとり、現在のありのままの姿の鳥居と向き合おうと試みているためである。それは《石》に表れていた均衡の保持と類似している。より一方向に引き付けられやすいプロパガンダ的な題材であるだけに、自由な視点で向き合あうことが容認されて初めて美しさや日常性というその他の要素が見えてくる。
下道は《戦争のかたち》においてモニュメント化されていない軍事施設跡が菜園や民家の物置のように使用されて日常に埋没している様子に関心を抱いた。そしてその姿を美しいと思ったそうだ。それはきっと《torii》にも共通している。これらは機能性が喪失し、長い歳月と変化する環境の中で意味や価値の転覆が起こったものである。下道は「権力的に与えられた意味を市民の生活が無意識に読み替えひっくり返す」こと、例えば、台湾台中市の公園にある鳥居が倒された時の力より、ベンチにして座ってしまうことで権力的なモニュメントとしての意味を剥ぎ取る、人々の日常生活や「(転)用」の力に強く惹かれている 。
それを自身の行為の中でも模索している。《Re-Fort PROJECT》(2004年-)は、砲台跡の歴史を理解しながら現代にふさわしい使用を検討し試みるもの。例えばそこで、缶蹴りをしたり、花見のようなイベントを開催したり、リノベーションして暮らしてみたりしてきたように、積極的に日常的な行為に転用するところに意味がある。その他には、沖縄のガラス職人たちが戦後、駐留米軍の使用したコカコーラやビールの瓶を再利用して色ガラスを制作したことに着想し、浜辺に漂着したガラスを再利用してコップ等を制作しているプロジェクト《漂白之碑》(2014年-)。第2次世界大戦の戦闘機の機体を再利用し作られた沖縄の民芸品を購入し展示した《ジュラルミン製の皿》(2014年)がある。
転用する日常の行為、つまり「用」が本来の意味を取り去ること、下道はそれを一方的に美化するのではなく、広い視野を持ちその現象や効力を考察している。しかし私たちは、そのことがいかに風景あるいは記憶や歴史を前進させて来たかということについて、気が付かない訳にはいかない。
そして、これまでの作品中に表れた日常的な転用の行為は、戦争や侵略というコントラストの強いものと隣り合わせになることでより鮮明になっているのではないか。日常性は相対的に意識され 、社会へ向けられることでより前向きな、いわば「生」への意味合いを帯びる。それは、下道が東日本大震災を契機として制作した《bridge》を通して、改めて日常風景に目を向けていったことにも繋がるだろう。そこで見出されたのも人々による手作りの転用の風景であった。《石》もこの延長上に置くことができる。加えて、もともと意味を持たない石は、価値や役割を与えて使うということが明確に表れる。そのような根源的な視点そして石の持つ宇宙的な時間を重ねることで、これまで近現代を中心に考察してきた「用」の元に時間軸や普遍性についての強度が備わることは明らかである。
下道は、過去を遡りながら未来へと向かう。ある時はささやかな石の営みを発見し、ある時はその石の記憶や歴史を感じ、そのようにミクロとマクロを行き来しながら風景に折重なる不可視の物語を見つめている。何億年という石の時間に比べれば米粒のような私たちの営みは、されど確実に日常の積み重ねによって風景を、世界を、前進させている。
尺戸智佳子(黒部市美術館学芸員)
柳田國男「石神問答」『柳田國男全集15』株式会社筑摩書房、1990年(初出:『石神問答』聚精堂、1910年)
野本寛一『石の民族』株式会社雄山閣、1975年、p.284
折口信夫「石に出で入るもの」『折口信夫全集19』、株式会社中央公論社、1996年、p.44(初出:『郷土』第2巻第1〜3号合冊「石」特集号、1932年7月25日発行)
前出書、「石に出で入るもの」、p.45
重森三玲『枯山水』株式会社河原書店、1965年、pp58-69
ミルチャ・エリアーデ「ブランクーシと神話」『エリアーデ著作集第13巻 宗教学と芸術』(中村恭子他訳)株式会社せりか書房、1975年、pp252-253
今和次郎によれば「現代風俗或は現代世相研究に対して採りつつある態度及方法」、「時間的には考古学と対向し、空間的には民俗学と対向するものであって、文化人の生活を対象として研究せんとする」もの。(今和次郎「考現学とは何か」『モデルノロヂオ(考現学)』株式会社学陽書房、1986年復刻版、pp353-355、初版:春陽堂、1930年)
「「再考現学/Re-Modernologio」phasa3:痕跡の風景」展、青森公立大学 国際芸術センター青森、会期2012年2月18日〜3月25日、「路上と観察をめぐる表現史−考現学以降」展、広島現代美術館、会期2013年1月26日〜4月7日
福住廉「観察者の歴史と戦後美術の歴史−現代美術の民俗学的転回へむけて」『路上と観察をめぐる表現史 考現学の現在』株式会社フィルムアート社、2013年、p.203
下道基行、筆者とのメールのやりとりから、2016年5月24日
三井善止「日常性と哲学」『哲学の立場:人間・自然・神』玉川大学出版部、1990年、pp.45-54を参照。
Invisible tales layered within the landscape
Chikako Shakudo
Stones used as weights to prevent an object from flying away in the wind, stones strategically placed to level out a bump in the ground, stones used to fill a small gap, and the stone that must be used inside when making pickles. In the summer last year, Motoyuki Shitamichi (1978- ) became interested in these stones after he came across many such landscapes in the coastal areas around Kurobe City Art Museum, in which the local people had gathered and used stones from the beach in their daily lives. Since that time, he has observed the casual manner in which these stones are used within the landscape.
The surrounding area, with the large and beautifully shaped alluvial fan created by the Kurobe River, is designated as a field museum. Due to the short distance between the mountains and the sea, and the fanned edge of the delta being short, the shoreline does not consist of sandy beaches, but rather, is characterized by pebbled beaches made up of small round stones. The area is also known as the Forty-Eight Riffles. Before the arteries of the river unite into one, numerous riffles fan out in thin mesh like branches, particularly after long spells of rain, and with melting snow; and this characteristic of the area has long been recognized for making transportation difficult.
For these reasons, digging the soil in the area will reveal numerous stones. Stones are also an integral part of the life of the people of the area. Stones from the riverbed and seashore have been used as objects of worship, and they are also used to build stone walls around homes and in fields. This landscape of stones has come to be due to the casual use of stones in ordinary everyday life. When Shitamichi turns his attention to these stones, it also leads us to notice the intimate relationship between them and the local people, and the landscape and topography that has been in the making for over hundreds of thousands of years.
Since ancient times in Japan, stones have been used as objects of religious worship, implements and stone axes, stone mortars, fishing weights, or as signposts. They were also used as building or engineering materials. In folklore, which Shitamichi is deeply interested in, numerous examples entwining people and their use of stones have been uncovered.
Since Kunio Yanagida compiled the notes from dialogues with scholars such as Emu Nakayama in Ishigami Mondo published in 1910, various studies regarding the worship of stones have been carried out. According to these publications, we can see that there is a wide diversity in the relationships between people and stones, and that the imagination people exhibit towards stones is incredibly rich. As Kanichi Nomoto states, there can be no doubt that from ancient times, Japanese people have “…tied stones to their heart, to their religion, placed them at the centre of their lives, and the core of their soul, and the focus of their very foundations.”
Shinobu Orikuchi discusses the sensibilities of dwelling in a stone in Ishi-ni ideiru mono. He points out the concept of utsubo in terms of internal space. According to Orikuchi, “The space is closed as if nothing could be accommodated by it, yet at the same time, it is as if the space has at some time or another, been specifically prepared to accommodate something.” Though he states that he cannot provide evidence of this concept with terminology such as the word utsuboki, used to refer to a sacred tree, “…the most suitable object which comes to mind is a stone.” With numerous examples of dwelling places of Gods and stone deities, people have provided the foundations for rocks to be used as a dwelling or representation of a God or spirit.
An example that can be given as an appreciation of this is the karesansui, the dry landscape rock garden in a traditional Japanese garden. As shown in the concept of if it is hidden, it is a flower in Zeami’s Fushikaden, there is both profound and mysterious beauty in the concealed form, and the prospect of that hidden beauty revealing its true self. Just as we have the ability to be able to see the ocean in small stones spread in a garden, or a waterfall in a rock arrangement, rocks have been given a special place in the hearts of people as a device used to view a concealed landscape.
stone (2016) consists of compositions which focus upon a main object, and we get the impression that the existence of each as a substance is being strongly thrust at us. Each and every form and substance is carefully conveyed, as if each has its own will, and is lingering in that spot. Looking at several of these stones evokes a feeling of brevity at the depth of time, the weight of hundreds and thousands of years. This round stone could not only be a fragment of a mountain cliff, but also a fragment from a planet, and we are viewing it from the immensity of the universe. Just as people once believed that Gods and spirits dwelled in stones based on their appearance, we too come to believe that it would not be so strange if some being were dwelling inside. Mircea Eliade stated that for the sculptor Constantin Brancusi (1876-1957), rocks were a holy manifestation. However for Shitamichi, we get the impression that the stone is a majestic and dignified mineral, eternally difficult to grasp.
On the other hand, if we go back and forward between the scenes of numerous stones, and pay careful attention to the background and circumstances, we can imagine the landscape extending from these seemingly cut-out screens. In doing this, we see that each is an incredibly routine and casual scene from a certain area. Though our imagination has flown to the universe, thoughts of an unremarkable daily life vividly come to mind. The very size of this stone is what led it to be an object of worship, while at the same time it was the reason that it also came to be used simply as a daily utensil. In the metaphysical, in the cosmos, in space, and in the mundane, his works capture this polarity, each stone maintaining a balance between the depth of the stone itself, and the common and mundane daily landscape.
In addition to this, Shitamichi believes that a stone itself has no role, rather, it is people who give the stone its role and value. For example, people gathering stones at the riverbed or seashore choose these based on ever so slight differences in weight and size, bearing in mind what the stone will be used for, and then choose the perfect stone to take home. Just as a switch is turned on or off, what was once just a stone is endowed with a purpose. At The Jomon Village in Toyama Kitadai National Historic Site Prefecture, stone tools, which maintain the original shape of the stone, are on display. To give a rough approximation of the size of the stones, each would fit into the palm of your hand.
There are beating stones, slightly longer, that seem easier to grasp, stones with a pit, flatter with traces of an indentation in the center, as if they have been used as saucer for a Beatingr stones, and almost perfectly round stones that must have been used as grinding stones. People in the Jomon Period chose and used these stones based on ever so slight differences. There must also have been stones that they picked up, and did not use for some reason. Those stones are surely still lying around somewhere even now. The display of black and white photographs makes it difficult to pinpoint the era, encouraging us to imagine whether the stones and their activities which Shitamichi has captured, are part of the present age, or from a time in the distant past.
In researching stone, we enlisted the assistance of Takashi Kubo, curator of the Kurobe Yoshida Science Museum, and Noriko Kawabata from the Asahi Town Center for Archeological Operations to provide guidance in the local area. Kawabata specializes in archaeology, and deals with time spanning over tens of thousands of years. Kubo specializes in paleontology and hundreds of millions of years. In conversations with these two specialists, and comparing Shitamichi’s viewpoint with their interests, again we realize that he has captured the life of the people with overwhelming definition. Just as folklorists assiduously research the folktales and oral traditions of the villages in each region, Shitamichi also visited the area, closely observing and gathering information to create his works.
He informed us that when he was a child, he personally investigated nearby shell middens and burial mounds, and we can imagine scenes much like an archaeological dig. While he captures objects on the surface, he also carefully considers the stories, memories and events of the landscape, and after editing these, presents them as a work of art. Such works can be seen as a study in modernology, and have at times been given this pedigree. In their research in modernology, Ren Fukuzumi, Wajiro Kon and Kenkichi Yoshida have found a common denominator with art, stating that “…the observer is, therefore, someone who strides through overlapping regions in art and science.” This could also apply to the stance of Shitamichi.
The polarity in stone, and the diversified viewpoints, is visible in each individual piece of work, and can be seen even if previous series of works are overlooked. Works with historical events as their background, such as bunkers (2001-2005) which covers the ruins of former military bunkers still visible in various parts of Japan, and torii (2006-2015) which observes the forms of torii (gateways to shrines) built outside of Japan during the Colonial period, also document the vastness of nature, and enormity of the passage of time.
On the other hand, bridge (2011), a collection of works capturing bridges made from wooden planks and steel plates suspended over ditches and paths in rice fields; crossover (2012) showing traces of paths made when people or animals step over boundaries; and Mother’s Covers (2013-2015), a record of tissues or plates used as substitutes for lids; were made showing the tiny behaviors within everyday life, originating in the daily affairs of the private life of the artist. The gaze of curiosity has been poured into these in equal value, and the beauty within each of them discovered.
Furthermore, within each of the works, multiple concepts are included: to disappear or remain, transformation, wandering, movement, memories, traces, boundaries, value, and meaning. For example, in Fragments of borders (2012- ), he collected water from rivers which separate communities, and the barbed-wire entanglements of the Korea University. It is possible to imagine the history of the people whose lives were hemmed in by these borders. Further, the fragments of the borders collected are social boundaries, visible only to those people who are aware of them. If we think of them as simply being a substance, speculation regarding their value and meaning is born. In this way, various realizations are derived from the layers in each work as the viewer’s understanding of them deepens.
Also, as the exhibits are composed using diverse methods including photographs, film, actual objects, texts and documents, it is possible to share the sense of Shitamichi’s fast-paced process of observation and discovery, and ponder various matters together.
This exhibition attempts to re-examine the strength of yo(purpose) in several series of Shitamichi’s work. His interests can be traced back to his initial works, and it can be seen that these interests remain the main subject that he continually confronts in producing his works.
torii is a collection of works covering the forms of torii outside the borders of Japan. These torii were constructed as Empire of Japan policy, and even now, though the war is long over, they remain where they were built, changing their forms. The barely visible torii still standing in the dense forest; the torii lingering on grassy plains in full view; the torii that has been converted into a gate to an institution; the torii being used like a telegraph pole by the house built near it, complete with electrical wires and an antenna; and the torii which has been toppled over and is now being used as a bench. When the original meaning of an object has been pushed away by a community that shares the same culture and values, we can see with our own eyes the loss of the original meaning. It is clear that these are remnants that symbolize the memory of the Colonial Period.
On the other hand, if I am to write without being misunderstood, these torii all linger beautifully within the photos; and in some we can sense the atmosphere of daily life. When I first saw the torii series, I remember feeling an impression of multiculturalism first, rather than recognizing and trying to understand the differences in cultural meanings and values. The thoughts that people hold towards the works will no doubt differ greatly depending on the consciousness of the viewer, and the generation to which they belong. However, what leads to the tolerance of various interpretations is the fact that the artist takes a neutral viewpoint, and is attempting to interact with the torii in their current form. This is similar to maintaining the equilibrium as seen in stone. Precisely because the subject with its one directional propaganda is so fascinating, we can tolerate approaching it from a free point of view, and it is then that we first other elements such as the beauty, and the ordinariness of it.
In bunkers, Shitamichi embraces his interest in the circumstances which have been forgotten in the ordinary. In this series he captures ruins of military facilities that have not been monumentalized, and are used either as vegetable gardens or as storage for private homes. He thought their appearance to be beautiful. This concept is also common in torii. These subjects have lost their original function, and through the passage of time, and changes in the environment, their value and meaning has been overturned. Shitamichi is incredibly attracted to the strength of change and purpose, as well as the ordinary aspects of daily life. For him “…meaning which was forced through authoritarian means, has unconsciously been turned upside down by the citizens in their everyday life.” For example, the fact that people now use the fallen torii as a bench in a park in Taichung, in Taiwan, has completely stripped it of its meaning as an authoritarian monument. There is far more power in this than the strength required to actually topple the torii.
He also searches for this in his own actions. While grasping the history of battery ruins, in Re-Fort PROJECT (2004- ) he attempts to examine an appropriate use for these in current times. For example, he has played kick the can there, organized a blossom viewing event, and even attempted to renovate a building and live there, believing there is meaning in the daily act of changing something proactively. In addition to this, while considering glass artisans in Okinawa re-used coca cola and beer bottles of the United States forces stationed there to make colored glass, he came upon the idea for a project to re-use glass that had drifted ashore to make objects such as cups in The monument of “float” (2014- ). He also purchased and exhibited Okinawan handcrafted goods that had been made using World War II fighter aircraft in Duralumin Plates (2004).
The ordinary act of converting an object, is in other words, removing its original yo(purpose). Shitamichi does not just beautify an object one-sidedly, but also examines the effects and phenomena with a broad perspective. However, we must recognize how far these acts have caused history, memory and the landscape to progress.
In works to date, the day to day act of putting an object to another use appears side by side with war and aggression, providing a sharp contrast. This relative awareness of the mundane, and being able to turn towards society, bears the implication of a positive existence. Through bridge, which Shitamichi produced after the Great East Japan Earthquake, he once again turns his gaze to the everyday landscape.
What he discovered in that, was a landscape of people converting objects by hand. Stones can also be thought of as an extension of this. Moreover, it becomes expressly apparent that stones which originally have no meaning, are given a role and value, and are used for a specific purpose. Together with this fundamental viewpoint, layered with the vastness of time the stone has seen, the intensity of time and universality can be added to purpose, which has to date been examined centering on modern times.
Shitamichi moves towards the future while travelling through the past. At times, discovering the workings of stones, at other times, feeling the history and memories of stones. While going back and forth between the micro and macro, he gazes intently at the invisible tales layered within the landscape. Compared to the hundreds and thousands of years of time stones have seen, our existence is but a grain of sand in time. Even so, with the accumulation of the ordinary, we are moving the landscape, and the world, forward.
Curator
Kurobe City Art Museum
「鑑賞体験」から「発見の実体験」へ
机の上に、やや手のひらに収まりきらないくらいの大きさの石がある。これは、展覧会カタログの付録の石である。見た目に反して、ずっしりと重い。ダンベルに丁度いいかな、、、私の元にやってきた黒部の石との今後の行方について、頭の片隅で考えを巡らす。
2005年のデビューから、およそ10年を経た下道の個展は、これまでとこれからを感じさせる内容となっていた。代表作である写真作品の《torii》、プロジェクト作品の《漂泊之碑》、新作の《石》からなる作品の3シリーズが展示され、展覧会初日には、沖縄の浜辺に漂着していたアジア諸国の瓶を素材に再生されたガラス食器を、実際に使うイベントが行われた。
新作の《石》は、展覧会場の地域でリサーチをして作られた新作でありながら、展示としてはささやかなものとなっており、代わりにカタログが《石》の作品のみを収めた写真集の様な形態がとられている。また、冒頭で述べたように、石をカタログに付けることで、購入者は、実生活の中に、「石」そのものを持ち込むこととなる。下道は、黒部の風景の中で発見した、人々が無意識にしている創造的な行為である、石に色々な価値を与えている様を、写真という記録媒体での展示と、カタログの付録として実体験として提示している。
また、会期中に2日間に渡って行われた「「太古の風景に耳を澄ます」大人のための本気のあそび体験ツアー」では、古生物の学芸員と考古学の学芸員との協力体制のもと、縄文土器の素材となる地層をリサーチし、その土を使って、縄文時代に作られていたであろう方法で、縄文土器を作られた。下道の制作に共通する「社会学的な客観性」と「個人的な物語性」とを、参加者自身それぞれが接合する。「風景に耳を澄ます」媒介者としての働きが、より一層強くなるのが、実体験となるワークショップやイベントである。
通常、カタログやワークショップは展覧会に付随する形をとっているが、本展では、それぞれが展示と同じヒエラルキーを持っている点が、下道の活動の在り方を反映するものとなっている。作品展示、写真集的なカタログ、ワークショップ等の直接的な体験、という3つの手法によって本展は成り立っている。
地方創生が国の重要政策として位置づけられ、大手広告会社が外部の目線で地元の人が気づかずに眠っている魅力を再発掘しリブランディングすることが盛んに行われている現在、目的が違うのでそもそもの違いがあるが、同じく外部の目線で拾いあげる下道の活動は、そのような強引なやり方ではなく、日々の生活、日々目にする風景の中から、自らが発見するスイッチを気づかせてくれる点において、大きな勢力に対する、ある種の対抗として働くものでもある。中学生とのコラボレーションや「新しい骨董」での活動など、活動領域を広げていっている下道の多角的な活動が現れている展覧会であり、動き出している今後の展開が期待されるものであった。
中尾英恵 (小山市車屋美術館 学芸員)