2021年3月11日 08:27 下道 基行 */?>


昨日、オンラインイベントにゲストとして参加した。
テーマはコロナかでの制作と生活と移動。
僕自身が他人に自分のそのことについて話すは良いし、どう受け取られても良いが、
聞く人々が一体誰であるのか?
それを企画する人々が誰であるのか?
と言う前提が、参加するまで少し不透明であり若干の”気持ち悪い”感じがあった。
企画者の中に何人かの友人たちの顔が見えたので「よし!」と重い腰を上げて参加してみた。
最終的に、企画の意図や企画者たちの顔、さらにはそれを聞く人々の顔が、より見えて、断らずに参加してよかったと思った。(僕自身、徒党を組むことへの強い警戒心があるのだと思う。)

イベントでは、持ち時間で、自分の話をした。
移動の話、島へ移住、日々から子育てやルーティーンの生活の話。
他の参加者などからは、本当に移動ができなくて、レジデンスや留学がストップしてしまったり、お金の問題を抱えている話なども聞けて、自分の想像の幅が広げられる機会になった。

でも、そう言う話を聞きながら、僕がこの場所で話をした自分の事が人の参考になるのか?と言う疑問。それはこのイベントに参加する人々からすると、ただの「リア充」で「ミドルキャリアの牧歌的な話」であったのではないかと、後々感じて頭を抱えてしまった。やはり参加しなければ良かったのかと。

それは今、「山下道ラジオ」でも陽光くんから度々指摘されている「下道くん、そんなアイドルがよく言う「家族が勝手に応募したら受かっちゃいました」みたいなのを、言われても、みんな羨ましいいだけだし真似できるわけでもないから!」と言われるのに似ていたのかもしれない。


時として、僕って、ヘラヘラして見えるんだと思う。
誰かが自分が大変な時に、他人の「リア充」を聞きたくはないのは理解してるよ。


でも、僕だって、
いつか楽しめない時もやってくるかもしれないし、
突然死んでしまうかもしれないし、
だから、今日も、全力で楽しんでみたいと思っている。
みんなで深刻な顔を付き合わせたいのであれば、僕は参加する必要はなかった。
僕のような一つの例題から、自分の何かに繋げられる人のために話した。それだけだ。

2021.3.11