SNSやネットによって、友人や仕事のやりとりが高速で遠距離で行えるようになり、様々なことが激変した。
そんな中で、以前まで全く存在しなかった「表現/表現者に対する批判」も、顔のみ言えない形で大量に見えてくるようになった。
マスコミなんかに出なくても、「表現/表現者に対する批判」は日常的に行われる。あるときそれは、応援であったり、勇気付けられるが、その逆も多々ある。
表現者にしてもアスリートにしても、僕らが見ることのできる”彼らの見せるもの”は、長い時間をかけて、ようやく世界へアウトプットされた結晶である(ことが多い)。ただ、それらのアウトプットされたものは、どこの誰かもわからない人々が書き込む言葉や感情が彼らを刺し殺していくのが日常だ。
「見なければ良い?」「有名税?」「表現の自由?」。
時間やお金をかけて準備してきた何かが、数件の激しい苦情で、中止に追い込まれることもある。
そう、名もなき小さな声が世界を変えることもできるのがネットの素晴らしい時代。
ただ、かつてテレビ局に電話をかけてきたような少数の苦情が拡散されるような時代。
どうやって、評論や批評にもならない、批判や悪口と付き合っていくべきだろうか。
僕自身、twitterはやめた。facebookも友人との連絡と告知のみにした。
日記はここに書くようになった。ラジオを始めた。
多分、僕なりの実践としては、なるべく、興味のある人がわざわざ手を出さないと届かない場所を持ちたいと思っているのだと思う。
だから今後も紙媒体は作りたいなぁ。新しくもなんともないメディア。自分の考えたことが正直に言える場所。よし準備してみよう。